日蓮の情報が規制?!天照大御神に規制の理由を聞いてみました【限られた情報のみ掲載】

日蓮の情報が規制?!天照大御神に規制の理由を聞いてみました【限られた情報のみ掲載】
今回は日蓮さんのお話です。このお方は、鎌倉時代の仏教の僧で日蓮宗の宗祖です。質問するにあたり、質問者様が情報をまとめてくださいました。ご協力ありがとうございました!
日蓮さんの情報があるかを事前に宇宙人さんに確認した際、あまり情報は載っていないと言われました。いざ、お話の準備をして行ってみると……ほとんどの情報が公開されていませんでした。
皆様は宮本武蔵の時の事を覚えていますでしょうか…?まさにあの時に近いような状態でした。
念のためアマテラス様に最終確認をしてから、今回の記事をアップいたしました。記事内にある情報が限界となりますので、それ以上は公開できない事を何卒ご了承願います。
記事に出てくる人物や用語はこちら

サヴィラジヌのトップも参加

メラムサフラ:お待ちしていました。
ウリムクオツ:こんばんは。
幻朋:ウリムさんお久しぶりです!
ウリムクオツ:先程帰ってきました。 
幻朋:そうでしたか。何か話し合いをしていましたか?
ウリムクオツ:話はしていましたが大丈夫です。
幻朋:今日はいつものように地球のお話をしに来ました。
メラムサフラ:オルアエルを呼びます。
オルアエル:来たよ。家にいたよ。 
幻朋:こんばんは!ウリムさんはサヴィラジヌの仕事に戻りますか?
ウリムクオツ:まだ大丈夫なので参加します。
幻朋:ありがとうございます!今回は日蓮という歴史の人物です。
オルアエル:よく分からないよ。
メラムサフラ:見てみます。 
幻朋:この方の情報は少ないそうですね。
ウリムクオツ:私も見てみます。
幻朋:ウリムさんも一緒に情報を見ていただければとても助かります!
オルアエル:見れないよ。
幻朋:オルアエルさんはお話を聞く担当でお願いします(笑)では、さっそく始めたいと思います。よろしくお願いします!

日蓮の誕生・出家・遊学について

生没年・出生地

幻朋:生没年は1222年2月16日~1282年10月13日です。
ウリムクオツ:2月18日とありますが、これは何でしょうか?
幻朋:誕生日かもしれないですね?亡くなった日にちは合っていますか?
メラムサフラ:10月13日‬は合っています。
幻朋:出生地は、あ…あんぼう?あんぼうこく?すみません、ここの読み方を確認するのを忘れていました(笑)
ウリムクオツ:あわのくにとあります。
幻朋:あわのくにと読むんですね!教えてくださってありがとうございます。続けます。安房国長狭郡東条郷の片海(千葉県鴨川市)の漁村で誕生しました。両親は三国大夫(貫名次郎)重忠と梅菊如とする伝承がありますが、確証はないそうです。親御さんの情報はありますか?
ウリムクオツ:そのような名前はないですね。
メラムサフラ:載っていないようです。
オルアエル:ないよ。
幻朋:分かりました。幼名は善日麿、あるいは薬王麿です。漁業で生計を立てる庶民の出身でしたが、両親は漁民をまとめる荘官級の立場だったと見られています。滅後に日蓮大菩薩(後光厳天皇、1358年)と立正大師(大正天皇、1922年)の諡号(しごう)を追贈されました。家柄などの情報はありますでしょうか?
ウリムクオツ:ないようです。
幻朋:それでは次に、日蓮はどういう性格だったのでしょうか?
メラムサフラ:性格など、どのような人なのかはありませんでした。
幻朋:性格もですか?!そこまで規制されているんですね。
ウリムクオツ:ほとんど載っていないようです。
オルアエル:何もないの?
メラムサフラ:情報が少ないようです。
幻朋:公開されている情報だけでも教えていただければと思います。

16歳の時に出家する

幻朋:12歳から安房国の清澄寺で教育を受け、16歳の時、清澄寺の道善房(どうぜんぼう)を師匠として出家、名も是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)と改めました。清澄寺の本尊である虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となし給え」と願いを立て、仏法の智慧を得ようとしました。
ウリムクオツ:子供の頃はいつも勉強しているようです。
幻朋:何の勉強ですか?やはり仏教でしょうか。
メラムサフラ:お寺で勉強しています。 
幻朋:親御さんから学びに行きなさいと言われたのでしょうか?
メラムサフラ:自分からやりたいと行っています。
ウリムクオツ:親からは反対されたそうです。
幻朋:そうなんですね?!
メラムサフラ:なぜなのかは載っていないです。

日蓮が目指していたものとは?

幻朋:少年時代の日蓮は、承久の乱で真言密教の祈禱を用いた朝廷方が敗れたのはなぜか?また、なぜ仏教は多くの宗派が分立し、争っているのか、との疑問があったそうです。清澄寺には疑問に答えを示せる学匠がいなかったので、日蓮は既存の宗派の教義にこだわらず、自身で経典に取り組み、経典を基準にして主体的な思索を続けたそうです。
ウリムクオツ:神を目指していたようです。
幻朋:少年時代から神を目指していたんですか?!
オルアエル:リイ(神)なの?
メラムサフラ:神様の事ですね。
幻朋:神になって人々を導きたいという感じでしょうか?どういう意味なんだろう…?
メラムサフラ:理由は載っていませんでした。

高僧が日蓮の衣の袖に宝珠を忍ばせたのは本当?

幻朋:得度した(出家の儀式)後、虚空蔵菩薩に真剣に祈り思索を重ねた結果、日蓮はある日、各宗派や仏教のすべての経典の勝劣を知るという重要な宗教体験を得たそうです。今からその宗教体験の内容を読みます。虚空蔵菩薩の前で願いを立てて21日目の朝。暗闇に包まれていた堂内が突然光り輝いて高僧が現れ、日蓮の衣の袖に明星のように光り輝く宝珠をそっと忍ばせて再び光の中へ消えて行きました。眩い朝の日差しの中、満願を果たした日蓮は、お堂の階段を降りた時、鮮血を吐き出し、そのまま倒れ込んだまま、意識を失ってしまいました。しかしその後、自身は疲れもなく心身爽快で、あたりが明るくなった感じに。このことがあってからは、一切経を見るとその内容や勝劣が手に取るようにわかるようになったと言われています。これは本当の話でしょうか?
メラムサフラ:1か月とあります。
幻朋:21日ではないんですね?
ウリムクオツ:そのようです。
メラムサフラ:光を受け取ったとあります。
幻朋:本当の話だったんですね!誰が現れたのでしょう?
ウリムクオツ:それは書いていませんでした。
幻朋:その後、血を吐いたというお話もあるようですが。
ウリムクオツ:それは分かりませんでした。
幻朋:しかし、光を受け取った体験は本当なんですね。

各地を遊学する

幻朋:次に日蓮は、鎌倉・京都・奈良など各地を遊学し、比叡山延暦寺をはじめ諸大寺を巡って、諸経典を学び、各宗派の教義の本質を把握していきました。遊学の中心は延暦寺で、研鑽(けんさん)の結果、日蓮は「阿闍梨」の称号を得ました。比叡山で日蓮は、妙法蓮華経(法華経)を中心とする文献的な学問と、天台本覚思想を学びました。
メラムサフラ:情報がなさそうです。

南無妙法蓮華経を広める事を決意する

幻朋:遊学の結果、日蓮は、仏教のすべての経典の中で妙法蓮華経が最も勝れていること、天台宗以外の諸宗が妙法蓮華経の最勝を否認する謗法(正法誹謗)を犯していること、時代が既に末法(釈尊の仏法が救済の力を失う時代の事)に入っていることを確認し、「南無妙法蓮華経」を末法の人々を救う法として広めることを決意しました。
ウリムクオツ:そのような事は載っていないですが、そういう考えの方なんですね。
幻朋:実際は違うのでしょうか……。

立宗宣言と専修題目

幻朋:遊学を終えた日蓮は、1253年4月28日の朝、日の出に向かい「南無妙法蓮華経」と題目を唱えました(立教開宗)。正午頃、清澄寺で、念仏や禅宗が妙法蓮華経を誹謗する謗法を犯していると主張しました。南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題行を説き、末法の民衆を救済する唯一の正法を宣言しました(立宗宣言)。日蓮が日の出に向かって題目を唱えたのはなぜでしょうか?
ウリムクオツ:この題目というのが載っていないようです。
幻朋:え?!題目はこの後も出てくる大事なワードなのですが…。
メラムサフラ:そのような言葉はありませんね。
ウリムクオツ:事実はこれと違う可能性があります。
メラムサフラ:違う人の話でしょうか。
幻朋:何が起きているのでしょう?またお話を進めてみます。日蓮が32歳の頃、自ら「日蓮」と名乗りました。なぜ日蓮と名乗ったのでしょうか?日蓮以降、皆名前に「日」がつくそうです。
メラムサフラ:子供の頃からこの名前ではないんですか?日蓮以外の名前がありません。
幻朋:なぜ日蓮という名前にしたか、理由は分からなさそうですね。
メラムサフラ:ないです。名前も規制なんでしょうか。
幻朋:これも謎ですね。「南無妙法蓮華経」の言葉は日蓮の以前から存在し、その唱題行は天台宗の修行としても行われていて、念仏などと並行して行われていたそうです。しかし日蓮は、念仏などと並んで題目を唱えることを否定し、南無妙法蓮華経の唱題のみを行う「専修題目」を主張しました。
ウリムクオツ:題目の情報はなさそうです。
幻朋:この立宗宣言の際に念仏宗の教義を厳しく批判した日蓮に対し、地頭(警察権や税の徴収権などを行使した幕府の役人)の東条景信(とうじょうかげのぶ)は、念仏の信者であったために激しく反発し、危害を加えようとしたため、日蓮は当時の政治の中心であった鎌倉に出ました。日蓮は松葉ケ谷に草庵を構え、鎌倉の人々に影響を与えていた念仏宗や禅宗を破折しながら、南無妙法蓮華経の題目を唱え、広めていったそうです。
メラムサフラ:………ありますか?
ウリムクオツ:ありませんね。
幻朋:このように、日蓮は迫害を何度も受けていたそうなんです。
メラムサフラ:日蓮の情報を見ていますが誰かと喧嘩している様子は載っていないです。 
幻朋:そうなんですね?
メラムサフラ:この人は色々な所を回って宗教を広めています。

「立正安国論」の提出と法難

幻朋:日蓮が鎌倉での弘教を開始した当時、異常気象や大地震などの天変地異が毎年のように相次ぎ、大飢饉・火災・疫病などが続発しました。特に、1257年8月に鎌倉地方を襲った大地震は大被害をもたらしました。この地震を機に、日蓮は災害や人々の不幸の原因を明らかにし、それを止める方法を世に示すために「立正安国論」を著し、1260年7月16日、時の最高権力者であった北条時頼に提出しました。
メラムサフラ:地震などが続いたという情報が載っていません。
ウリムクオツ:ありませんでした。
幻朋:分かりました。「立正安国論」では、天変地異が続いている原因は、国中の人々が正法に背いて悪法を信じていることにあり、最大の元凶は念仏の教えにあると主張しました。そして、人々が悪法への帰依を止めて正法を信じるのであれば、平和な楽土が現出するが、このまま悪法への帰依を続けるなら、自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)の二つの災難も起こると警告し、速やかに正法に帰依するよう諫めました。これらは後に的中したそうですが、予言だったのでしょうか?それとも情勢を見るのがうまかったのでしょうか?
メラムサフラ:偶然だったのでしょうか。

日蓮の草庵が襲撃される

幻朋:幕府要人は日蓮の諫暁を無視し、念仏者たちは幕府要人の内々の承認のもと、日蓮への迫害を図ります。1260年8月27日の夜、多数の念仏者たちが日蓮を亡き者にしようと草庵を襲撃しました(松葉ケ谷の法難)。幸い、この時日蓮は難を逃れましたが、一時鎌倉を離れることになりました。
(しばらくウリムさんとメラムさんが調べていました。)
オルアエル:載ってないの?
ウリムクオツ:今見ていますが載ってなさそうですね。
幻朋:1261年5月12日、幕府は鎌倉に戻った日蓮を捕らえ、伊豆の伊東への流罪に処しました(伊豆流罪)。
メラムサフラ:これもないです。
幻朋:1263年2月、伊豆流罪を赦免(罪を許されること)されて鎌倉に帰った日蓮は、翌年、病気の母を見舞うため故郷に帰りました。それを知った東条景信は、日蓮を襲撃する機会を狙いました。
メラムサフラ:ないです。
幻朋:1264年11月11日、日蓮の一行は、天津へ向かう途中、東条の松原で東条景信の軍勢に襲撃されました。この時、日蓮は額に傷を負い、左の手を骨折しました。門下の中には死者も出ました(小松原の法難)。
メラムサフラ:襲われたというのは書いていません。

竜の口の法難と発迹顕本

幻朋:1268年、蒙古(当時のモンゴル帝国)からの国書が鎌倉に到着しました。日本と通交関係を結ぶことを求め、それに応じなければ兵力を用いるとの意も含めたものでした。他国侵逼難が、現実のものとなって迫ってきていると感じた日蓮は、時の執権・北条時宗をはじめとする幕府要人や鎌倉仏教界の主要僧侶、あわせて11カ所に書状を送り、予言の的中を明示するとともに、諸宗の僧らに公の場での法論を迫りました(十一通御書)。しかし、幕府は日蓮のはたらきかけを黙殺し、むしろ日蓮の教団を危険集団と見なして弾圧に向かっていくことになりました。
ウリムクオツ:これも載ってないですね。
幻朋:なんだか宮本武蔵の時を思い出します。
ウリムクオツ:その時と同じですね。
オルアエル:何なら載ってるの?
メラムサフラ:規制がかかっているんだと思います。
幻朋:そうですよね。またお話を進めていきますね!1271年夏に大旱魃(長期間の日照り)が起こった時、真言律宗の極楽寺の良観(忍性)が祈雨(雨乞い)をすることになり、日蓮は、「もし良観が7日のうちに雨を降らせたなら、日蓮が良観の弟子となり、もし雨が降らなければ、良観が法華経に帰依せよ」と良観に申し入れをしましたが、良観はこれに応じませんでした。
ウリムクオツ:1271年に全く雨が降らなくなっているようです。
幻朋:日蓮側では、良観の祈雨が行われた最初の7日間雨は一滴も降らず、良観は祈祷の7日延長を申し入れて祈りましたが、それでも雨は降らないばかりか、暴風が吹くというありさまで、良観の大敗北だったそうです。しかし、良観は敗北を素直に認めず、日蓮に対する怨みをさらに募らせ、配下の念仏僧の名で日蓮を訴えた、としています。
ウリムクオツ:この人達の話は載っていませんでした。
幻朋:1271年9月10日、日蓮は幕府から呼び出されて、侍所の所司(侍所は軍事・警察を担当する役所。所司は次官のこと)である平左衛門尉頼綱(平頼綱)の尋問を受けました。9月12日、平左衛門尉が武装した兵士を率いて草庵を襲い、日蓮は捕らえられました。この時、日蓮は、平左衛門尉に向かって「〝日本の柱〟である日蓮を迫害するなら、必ず自界叛逆・他国侵逼の二難が起こる」と述べて、強く諫暁しました。平左衛門尉は日蓮を馬に乗せて鎌倉中を引き回し、佐渡国守護である北条宣時の館に「預かり」としました。
ウリムクオツ:載っていません。
幻朋:平左衛門尉らは、内々で日蓮を斬首する意志を固め、日蓮を夜半に突然護送し、鎌倉のはずれにある竜の口の刑場に連行しました。しかし、まさに刑が執行されようとしたその時、突然、江ノ島の方から〝まり〟のような強烈な光り物が夜空を北西の方向へと走り、太刀を取る兵士の目がくらむほどの事態になり、また、これに恐れおののいて、刑の執行は不可能となりました(竜の口の法難)。光の正体は何でしょうか?
メラムサフラ:そのような話はありませんでした。
幻朋:この法難は、日蓮自身にとって極めて重要な意義をもつ出来事で、以後、日蓮は新たな境地(発迹顕本)に立って弘教の歩みを開始し、文字曼荼羅本尊を図顕していきました。
メラムサフラ:なかったです。
(この辺りからオルアエルさんが部屋の中を移動し始めました笑)

佐渡流罪と予言の的中

幻朋:竜の口の法難後のしばらくの間、幕府は日蓮への処遇を決められず、約1カ月間、日蓮は相模国の依智(神奈川県厚木市北部)にある本間六郎左衛門重連(佐渡国の守護代)の館に留め置かれました。その間、鎌倉の門下260余人がリストアップされ、逮捕・監禁、追放、所領没収などの処分を受け、多数の門下が日蓮の元を去ってしまいました。
ウリムクオツ:なさそうです。
幻朋:結局、日蓮は佐渡流罪と決まり、1271年10月10日に依智を出発し、11月1日に佐渡の塚原の墓地にある荒れ果てた三昧堂(葬送用の堂)に入りました。厳寒の気候に加えて、衣類や食料も乏しい中、佐渡の念仏者などから命を狙われるという厳しい状況でした。幕府はなぜそこまで日蓮を弾圧したのでしょうか?
ウリムクオツ:載っていないので分かりません。
幻朋:2月には北条一門の内乱が起こり、鎌倉と京都で戦闘が起こりました(二月騒動、北条時輔の乱)。日蓮が竜の口の法難の際に予言した自界叛逆難が現実になりました。1274年2月、日蓮は赦免され、3月に佐渡を発って鎌倉へ帰りました。佐渡流罪の処分が根拠のない讒言(ざんげん、偽って告げ口する事)によるものであったことが判明し、また蒙古襲来の危機が切迫してきたためでした。
メラムサフラ:これも載っていなさそうです。
幻朋:4月に平左衛門尉と対面した日蓮は、蒙古調伏の祈禱を真言師に命じている幕府を強く諫めるとともに、平左衛門尉の質問に答えて、蒙古の襲来は必ず年内に起こると予言しました。この予言の通り、同年10月に蒙古の大軍が九州地方を襲いました(文永の役)。これで、自界叛逆難・他国侵逼難の二難の予言が二つとも的中したことになりました。
メラムサフラ:探していますがないです。

身延入山

幻朋:3度に渡る諫暁も幕府が受け入れなかったため、日蓮は鎌倉を離れることを決意し、1274年5月、甲斐国(山梨県)波木井郷の身延山(みのぶさん)に入りました。身延において日蓮は、数多くの書簡や法門書を執筆、多くの文字曼荼羅本尊を図顕して門下を教え導きました。また、法華経の講義などを通して、人材の育成に全力を注いぎました。
メラムサフラ:ありませんでした。
幻朋:今回はかなり規制されているようですね。

熱原の法難と出世の本懐

幻朋:日蓮の身延入山後、富士方面では天台宗などの僧侶や信徒が改宗して日蓮に帰依するようになりました。そのために、地域の天台宗寺院による迫害が始まり、日蓮に帰依した人々を脅迫する事件が次々に起こりました。1279年9月21日には、熱原の農民信徒20人が無実の罪を着せられて逮捕、鎌倉に連行され、平左衛門尉の私邸で拷問に等しい取り調べを受けました。法華経の信心を捨てるよう脅されましたが、全員がそれに屈せず、信仰を貫き通しました。そして、捕えられた20人の信徒が一人も法華経の信仰を捨てなかったため、平左衛門尉は尋問を打ち切り、10月15日、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人の兄弟を斬首、残る17人は居住する地域から追放しました。(熱原の法難)農民信徒たちが厳しい取り調べにも屈することなく信仰を貫いている事実を知り、日蓮は、自身のこの世に出現した目的(出世の本懐)を遂げたと述べています。日蓮の言う、この世に出現した目的とは何だったのでしょうか?
ウリムクオツ:神になる事が目標でしたね。
メラムサフラ:そうでしたね。
幻朋:自分が広めた信仰を貫き通した信徒がいたから、目的を達成できたという事でしょうか?
ウリムクオツ:それに当てはまると思います。 
(話している最中、オルアエルさんは相変わらず部屋の中をウロウロしていました(笑)ちょっと気になってチラ見していましたが、そのまま話を続けました。)

日蓮が入滅する

幻朋:日蓮は、1277年の暮れに胃腸系の病を発し、医師でもある四条金吾(しじょうきんご)の治療を受けていましたが、一時的には回復しても病状は次第に進行しました。1281年5月には日蓮自身、自己の死が迫っていることを自覚するまでになり、12月には門下への手紙の執筆も困難になりました。
ウリムクオツ:1280年に病気になっているそうです。
幻朋:1282年9月8日、日蓮は、弟子たちの勧めで常陸国(茨城県北部と福島県南東部)へ湯治に行くとして、9年住んだ身延山を発ち、その後、 武蔵国池上(東京都大田区)にある池上宗仲の屋敷に滞在し、後事について種々定めました。
ウリムクオツ:そこら辺は載っていません。
幻朋:9月25日には、病を押して、門下に対し「立正安国論」を講義したと伝えられています。そして1282年10月13日午前8時頃、日蓮は、池上宗仲邸で入滅しました。61歳の生涯を終えました(満60歳)。入滅に先立って日蓮は、自身が所持してきた釈迦仏の立像と注法華経を墓所の傍らに置くこと、本弟子6人(日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持)が墓所の香華当番に当たるべきことを遺言しています。何の病が原因で亡くなったのでしょうか?
メラムサフラ:寝たきりになっていたそうですが、何の病気かは書いていません。その他の詳しい事はありませんでした。
幻朋:分かりました。日蓮は亡くなった後、神になっていますか?
ウリムクオツ:その情報はありませんでした。 
幻朋:そこも伏せてあるんですね?!……色々と事情がありそうですね。

日蓮についてその他の質問

法華経を唱えると何の効果がある?

幻朋:それでは、最後に日蓮に関する質問をいただいていますので、そちらをお聞きしていきたいと思います!まず最初に、「題目を唱えるとどんな効果があるのか?法華経にも何か効果があるのか?」
オルアエル:効果あるの? 
メラムサフラ:題目の効果は分かりませんでした。
ウリムクオツ:法華経は体の回復とあります。 
幻朋:般若心経とは別な効果ですね!

現存する曼荼羅以外にも他に曼荼羅はあるのか?

幻朋:「日蓮は現存する曼陀羅以外に他の曼陀羅を表したことがあるか。」
メラムサフラ:曼荼羅の情報はありませんでした。

日蓮が1番信頼していた弟子は?

幻朋:「日蓮が1番信頼していた弟子について。」
ウリムクオツ:弟子についての情報が載っていませんでした。

日蓮は九州に行った事があるのか?

幻朋:「日蓮御上人は、九州に行かれたことがあるのか教えて下さい。」
メラムサフラ:九州にも行っています。

日蓮は井伊家の家系?

幻朋:「井伊家の家系図に日蓮が出てきます(父方)。実際に井伊家の家系なのか知りたいです。」
メラムサフラ:調べてみます。(数分後)………家系図を見れませんでした。
幻朋:調べてくださってありがとうございました!
ウリムクオツ:なぜここまで載っていないのか気になりますね。
幻朋:そうですね…。
メラムサフラ:こういう事もあると思います。
オルアエル:アマテラスさんに後で聞いてみよう。
メラムサフラ:教えてくれないと思います。
幻朋:私もそう思います(笑)ウリムさん、お忙しい所参加してくださってありがとうございました。
ウリムクオツ:全然大丈夫です。
幻朋:最近のサヴィラジヌは変わりないですか?
ウリムクオツ:サヴィラジヌはいつも通りです。メラムさんがしっかり見てくれています。
幻朋:それは良かったです!
ウリムクオツ:近々拠点の様子を見に行こうと思っています。アマテラスさんともお話ししに行きます。サヴィラジヌに招待する事を話しに行こうと思っていました。
幻朋:今私もその事を話そうと思っていました!もしかして私のテレパシーが通じましたか?!(笑)
ウリムクオツ:残念ながら来ていません。
幻朋:はい、すみません(笑)
ウリムクオツ:予定が決まったらちゃんと教えます。
オルアエル:アマテラスさんと何しようかな。
幻朋:神様なので遊ばないと思いますよ(笑)でも楽しみですよね!
メラムサフラ:楽しみです。
幻朋:今日もありがとうございました。また話せたら嬉しいです。そろそろ帰ります。カテ(ありがとう)、タルム(さようなら)!
ウリムクオツ:タルム。
オルアエル:またね。

伊勢神宮へ

日蓮さんの情報は何やら訳ありなようなので、念のためアマテラス様に確認しに行きました。
天照大御神:きたか。
幻朋:お邪魔します。日蓮さんの件でご相談に来ました。
天照大御神:にちれんか。
幻朋:先程メラムサフラとウリムクオツさんに情報を見ていただいておりました。
天照大御神:そのようだな。
幻朋:情報がとても少ないようですが、規制でしょうか?
天照大御神:よのなかにでているじょうほうがまちがっている。しかしただしいじょうほうをのせるわけにもいかない。
幻朋:……後の時代に作られたイメージという事でしょうか?
天照大御神:そういうことだ。(ここからのお話はカットいたしました。)
幻朋:先程の、後の時代に作られたという部分は皆様に話しても大丈夫でしょうか?
天照大御神:そこまでならいい。
幻朋:分かりました。色々と考えて規制をしてくださってありがとうございます。一応最終確認をしたいなと思い、伊勢神宮を訪問しました。
天照大御神:かまわない。
幻朋:いつもありがとうございます!それでは失礼いたします。

日蓮さんのお話は以上となります。歴史というのは本当に奥が深いですね。現在に至るまで、色々なストーリーが重なっているんだなぁと実感しました。
日蓮さんについてのお話は詳しく分かりませんでしたが、きっと仏の道をたくさん学んでそれを人々に広めていらっしゃったのかなと思いました。