マリー・アントワネットは歴史通りの性格だったのか?仰向けで処刑された理由や生存説など

マリー・アントワネットは歴史通りの性格だったのか?仰向けで処刑された理由や生存説など
今回は、フランス革命で処刑された王妃マリー・アントワネットのお話です。どんな人なのか全く分からなかったので、情報を見ていたのですが…色々とひどいエピソードが出てきました。
「浪費家、軽率、わがまま」というイメージが強く残っているようです。でも、もしかすると実際は違う性格だったのではないか?そんな思いを抱きながら、宇宙人さんに話を聞いてみました。
彼女の大まかな人生をご紹介しつつ、聞いた情報をご報告していきたいと思います。なお、処刑などの残酷な表現は控えるようにしております。
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マリー・アントワネットとルイの関係

オルアエル:いたよ〜。メラムさんにそろそろ来るよって言われてたから先に来たよ。
メラムサフラ:お待ちしていました。
幻朋:お出迎えありがとうございます。今日はマリー・アントワネットという女性についてお話をしに来ました。
メラムサフラ:今見てみます。
幻朋:ちょっと色々と問題があった方らしくて…。
オルアエル:どんな人だろう。
メラムサフラ:ありました。
幻朋:それでは少しずつ質問していきますね。よろしくお願いします!

結婚に対してどう思っていたのか?

幻朋:出生と亡くなった年数ですが1755年〜1793年です。これで合っていますか?
メラムサフラ:合っています。
幻朋:神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女大公マリア・テレジアの間に生まれました。完全なお嬢様ですね。マリア・アントーニアが14歳の時に、後のルイ16世と政略結婚をしました。この時にフランス王太子妃マリー・アントワネットと呼ばれるようになりました。結婚に対してどう思っていたんでしょう?
メラムサフラ:あまり興味がなかったようです。
幻朋:まだ14歳ですもんね。

ルイとは不仲だったのか?

幻朋:アントワネットとルイの夫婦仲は、あまり良くなくて夫婦仲は冷めていたそうです。なかなか子供が生まれず、結婚してから7年目でやっとマリー・テレーズ・シャルロットが生まれました。
メラムサフラ:仲は良かったみたいです。
幻朋:結婚には興味がなかったそうですが、結婚後に仲良くなったんですか?
メラムサフラ:結婚してから仲良くなっています。
幻朋:では、なぜなかなか子供が生まれなかったのでしょう?
メラムサフラ:マリーが拒んでいたと書いています。
オルアエル:嫌なのに一緒にいるの?
幻朋:でも仲が良かったんじゃ?
メラムサフラ:自由に遊びたかったみたいです。
幻朋:そういう事でしたか。まだ若いですからね。

アントワネットは良い母親だったのか?

幻朋:アントワネットはパリのオペラ座で仮面舞踏会に参加したり、賭博にも熱中していたそうです。やっぱり結構遊んだりしていますか?
メラムサフラ:色々と遊んでいます。あまり良くないです…。
幻朋:それはどういう意味ですか?
メラムサフラ:違う男の人とも出かけたりしています。
オルアエル:ダメじゃん。
幻朋:後でその事も聞こうと思っていましたが、本当なんですね。しかし、賭博は子供が生まれたのをきっかけにやめたらしいですね?
メラムサフラ:あまり変わっていません。
幻朋:そうなんですか?!(笑)よっぽど遊ぶのが好きな人だったんですね。浪費家のイメージが強いのですが、宮廷内で貧困者のためにカンパを募ったりしていたらしいです。
メラムサフラ:そういう事もやっています。
幻朋:良いのか悪いのか……(笑)
オルアエル:悪いよ。
幻朋:子供にしつけをしたりという母親像もあるそうですが。
メラムサフラ:手伝ってもらっています。
幻朋:召使い的な人にでしょうか?
メラムサフラ:そんな感じです。
幻朋:宮殿に家畜用の庭を増設して、子供を育てながら暮らしていたという話もありますが、何のために宮殿内に農村を作ったんですか?
メラムサフラ:そういう光景を見せたくて再現したそうです。いつでも見られるように。
幻朋:子供のためですか?
メラムサフラ:自分のためでもあると思います。

王妃になってからしきたりを変えたのはなぜか?

幻朋:1774年、ルイ16世の即位によりフランスの王妃になります。朝の接見を簡素化させたり、ベルサイユの習慣や儀式を廃止したり緩和させました。これらの行いで宮廷内の人から反感を買ったそうですが、なぜこのような事をしたのでしょう?
メラムサフラ:やりたくなかったからみたいです。そういうのをなくしていこうと思っていました。
幻朋:何か深い意味があるのかと思いましたが、自分のためだったんですね(笑)
メラムサフラ:面倒くさがり屋ですね。

不倫の噂と民衆の評判 

幻朋:先程も男の人と遊んでいるという話がありましたが、スウェーデン貴族のアクセル・フォン・フェルセン伯爵と不倫しているとの噂が宮殿内に広まっていました。これは本当ですか?
メラムサフラ:色々な人と出かけています。フェルセンという方とは特に仲が良さそうです。
オルアエル:おかしいよね。
幻朋:やっぱりそうなんですか…旦那さんに飽きてしまっていたんですか?
メラムサフラ:嫌いにはなっていません。他の人と遊ぶのが趣味みたいになっています。
幻朋:う〜ん。私の中では、不倫や浮気は絶対に有り得ない事なので、ちょっとひどいなと思います。
メラムサフラ:良くないです。
オルアエル:消されるよ。
幻朋:もしサヴィラジヌでこういう事があったら消される案件ですか?
メラムサフラ:そういう例はないですが、消されるかもしれません。
幻朋:そうなりますよね。結婚相手を裏切るのはダメですね。この他にも、宮殿の外ではアントワネットの誹謗中傷も広まっていたそうです。これがきっかけで、パリの民衆の憎悪が増しました。なぜ誹謗中傷が広まりましたか?
メラムサフラ:目撃している国民によって広められています。
幻朋:やはり評判は悪かったんですね?
メラムサフラ:悪いですね。

ヴァレンヌ事件の様子

幻朋:1789年、いよいよフランスで王政に対する民衆の不満が爆発して革命が起こりました。国王一家はヴェルサイユからパリのテュイルリー宮殿に移されました。そこで、アントワネットはフェルセンの協力を得て、フランスからの脱走を計画します。
メラムサフラ:今フェルセンの情報を探しています………逃げ出そうとしていますね。
オルアエル:ダメだよね。
メラムサフラ:フェルセンって人も手助けしています。
幻朋:やっぱり関わっているんですね。ルイ16世は二人の関係に気付いていたんでしょうか?
メラムサフラ:何となく知っています。
幻朋:計画は実行されましたが、移動する馬車に贅沢品を詰め込みすぎて、馬の速度が遅くなり計画が狂いました(笑)結局、国境近くで身元がバレてパリへ連行されます。
メラムサフラ:重すぎて動けなくなっていますね。
オルアエル:変なの。
幻朋:しかもバレてますからね(笑)荷物検査で発覚したんですかね?
メラムサフラ:あまりにも目立つのですぐバレました。
幻朋:高級感が溢れていたんですね(笑)これをヴァレンヌ事件と呼ぶそうですが、親国王派の国民からも見離されてしまう事になりました。
メラムサフラ:みなさん騙されていますね。
幻朋:国民ですか?
メラムサフラ:そうですね。応援してくれている人達です。多少の事は良いと許していたんです。
幻朋:それなのに自分達は国を見捨てようとしたんですもんね…。

アントワネットはなぜ敵軍に作戦を漏らしたのか?

幻朋:1792年、フランス革命戦争が勃発します。この時、アントワネットが敵軍にフランス軍の作戦を漏らしているという噂が立ったそうです。これは本当ですか?
メラムサフラ:全部ではないですが、フランス軍の作戦を売っている人がいた。
幻朋:え?フランス軍の中に情報を売っている人がいたんですか?それをアントワネットが買っていた?
メラムサフラ:そうです。アントワネットが敵軍に買わせていたんです。
幻朋:何でそんな事したんですか?自分の国なのに…。
メラムサフラ:負けさせて今の場所からいなくなろうとしていた。自分の国に帰りたいという気持ちがあったようです。
幻朋:すごい考えですね。常に自分の事が優先というか(笑)
メラムサフラ:この方は王妃には向いていなかったようですね。
オルアエル:無理だよ。
幻朋:そうかもしれませんね。そして、8月10日事件というのが起こります。パリ市民と義勇兵がテュイルリー宮殿を襲撃して、アントワネット達国王一家はタンプル塔に幽閉されます。確か、テュイルリーにいた時はそこそこ優雅な生活をしていたと思います。
メラムサフラ:確かに良い暮らしをしています。色々持ち込んでいますね。
幻朋:タンプル塔という場所に移ってからは、さすがにそんな事はないですよね?
メラムサフラ:そこでもそんなに不自由な暮らしではないです。
幻朋:やっぱり王様一家だから優遇されていたんですかね。

アントワネットが処刑される際に仰向けだった理由

幻朋:1793年1月、ルイ16世に死刑判決が下り、ギロチンの刑に処されました。ギロチンとは、首を斬られてしまう刑です。あまり詳しくは言わないようにしますね。
メラムサフラ:恐ろしいものですね。
オルアエル:気持ち悪いね。
幻朋:昔はそのような刑があったんです。想像するのも嫌ですね。この後、ルイ17世とは離れ離れになります。アントワネットは無罪を主張しますが、その年の10月16日にコンコルド広場でギロチンの刑に処されます。この際、普通はうつ伏せにされるそうなんですが、彼女の場合は仰向けにされたというのは本当でしょうか?
メラムサフラ:アントワネットが希望したそうです。
幻朋:自分でですか?!上から刃が落ちてくるのが見えるんですよ…ちょっとは反省していたんでしょうか。
メラムサフラ:反省とかではないようです。最後まで注目されたかったみたいです。
幻朋:何て言ったら良いか言葉が見つかりません(笑)遺体はマドレーヌ墓地に葬られて、王政復古の時代に歴代のフランス国王が眠るサン=ドニ大聖堂に、夫のルイ16世と一緒に移されたそうです。
メラムサフラ:そうですね。最初はただ埋められただけでした。最終的にちゃんと作られています。
オルアエル:何もしなくて良いのに。
幻朋:一応、王様とお妃様ですからね。

アントワネット生存説について

幻朋:実は彼女にも生存説があるんです。処刑されたのは身代わりの女性で、アントワネットは愛人のフェルセン伯爵と暮らしていた。アントワネットと息子のルイ17世のDNA鑑定が一致しなかったそうで、これはアントワネットが別人だからでは?という事らしいです。
メラムサフラ:本人は処刑されました。一致しないというのはおかしいですね。
幻朋:別な人のを鑑定してしまったんですかね?
メラムサフラ:この辺の情報が載っていませんね。
幻朋:そうなんですね。あと、ルイ17世はアントワネットとフェルセンの子供という説もあります。この子は病気で亡くなっていたような気がします。
メラムサフラ:王様との子供です。亡くなっていますね。
幻朋:ちゃんと二人の間の子供なんですね。

アントワネットはどのような人物だったのか?

幻朋:アントワネットは、遊び好きで浪費家、軽率、わがまま、赤字夫人などと言われていましたが、その通りの人だったという事になりますか?
メラムサフラ:元々自由奔放に生きてきました。子供の頃からそんな感じで、それが更に悪化した感じです。
幻朋:子供がそのまま大人になったような感じでしょうか。
メラムサフラ:そしてこのような何でも手に入る環境だったせいもあります。
幻朋:当時はファッションリーダー的存在で、ドレスを何着も作らせていたそうです。そこまで散財していないという説もありますが…。
メラムサフラ:確かにいつも違った服を着ています。お金はたくさん使っています。
幻朋:歴史通りの人は初めてですね(笑)
メラムサフラ:なかなかひどい人ですね。
幻朋:ちなみに髪型も奇抜だったようです。
メラムサフラ:髪型も変わっていますね。
幻朋:何か気になるのはありましたか?
メラムサフラ:頭が伸びたような髪型があります。何か変だなと思いました。人とは違う事をしたかったみたいです。
幻朋:目立ちたがり屋さんだったのかもしれませんね。今回の人はすごかったですね。
オルアエル:自分勝手でダメだよ。
メラムサフラ:これでは処刑されるのも当たり前だと思います。
幻朋:メラムさんが言うならよっぽどですね。次はまた別な人のお話を持ってきますね!色々と教えてくださってありがとうございました。
メラムサフラ:お待ちしています。
オルアエル:またね。

マリー・アントワネットの情報は以上となります。いつもの歴史上の人物のように「本当はこんな人だった!」というお話が聞けるかと思っていましたが、まさかのイメージ通りとなりました(笑)
しかし、ここまで自分を突き通せるのは逆にすごいなと思いました。自由で優雅な生活を送り、最期は処刑されてしまいましたが、彼女にとってどんな人生だったのでしょう?幸せだったのか…不幸だったのか……。