前回記事『天草四郎には特殊能力があったのか?島原の乱で総大将になった経緯とは【前編】』の続きです。
後編では島原の乱でどんな事が起こっていたのかを詳しく聞きました。天草四郎生存説など様々な説がありますが、それはなぜなのか……?それは戦略が張り巡らされていたからでした。
宇宙人さんに色々とお話を聞いてきましたので、天草四郎の人生後半の情報をお送りいたします。心苦しくなってしまう部分もありますが、ぜひ天草四郎の事を知っていただければと思います。
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目次
島原・天草の民衆の苦しみ
幻朋:こんばんは!先日はすみませんでした。
メラムサフラ:お待ちしていました。今日は大丈夫です。
ウリムクオツ:こんばんは。
ケスリロ:やっと来たな。
メラムサフラ:オルアエルはもうすぐ来ます。
ウリムクオツ:しばらくいるので参加しますね。
幻朋:お忙しい中ありがとうございます!
ウリムクオツ:大丈夫ですよ。
ケスリロ:カノロトに任せてきたぞ。
オルアエル:来たよ。
幻朋:オルアエルさんも来ましたね。それでは皆さん、よろしくお願いします!前回は天草四郎が戦いの総大将に選ばれた所までお話ししました。今日はその戦いについて詳しくお聞きしたいと思います。島原の乱は日本史上最大の一揆と言われているそうです。当時の島原・天草地方の百姓は飢饉に陥り、藩主からは重い税の取立てをされ苦しんでいたそうです。この辺の事は載っていますか?
メラムサフラ:税の取立てなどは詳しく載っていません。
幻朋:分かりました。島原にはキリシタン大名の有馬晴信がいたので、キリスト教の信仰も盛んでしたが、1614年に晴信が領地を移り、そこから厳しいキリシタン弾圧が始まりました。年貢を納められない農民や改宗を拒んだキリシタンを拷問したりしたそうです。天草でも同じようにキリシタン弾圧が行われていました。
メラムサフラ:外国から来た宗教が広まるのが嫌だったみたいです。
幻朋:それで拷問したりいじめていたんですね。
ウリムクオツ:そのようですね。
オルアエル:それはだめだよね。
幻朋:天草四郎の身近な人もそういう目にあっていたんですか?
メラムサフラ:周りの人達もやられています。
幻朋:それで我慢できなくなって反乱を起こしたんですね。
天草四郎はどんな思いで総大将になったのか?
幻朋:民は過酷な取立てに耐えきれず島原や天草で反乱が起こり、その後2つの一揆勢は合流して島原にある原城に篭城しました。
ウリムクオツ:協力して勢力を強めています。
幻朋:この時の人数は約3万7千人も集まっていたそうです。当時16歳の四郎を一揆軍の総大将とし、1637年12月11日に島原の乱が勃発しました。一揆勢が合流してから四郎がトップになったんですね?
メラムサフラ:天草四郎がそこからトップになります。
ウリムクオツ:知名度があって人気があるという事からトップになっています。
幻朋:前回、四郎が総大将になった経緯を聞きましたが、周りの人達が先に命を狙われたくないからという理由もありましたよね。四郎は自分の役目に気づいていたのでしょうか?
ウリムクオツ:そういう立場にされていたのは気づいています。
ケスリロ:気づくよなぁ。
幻朋:覚悟を決めていたという感じでしょうか?
メラムサフラ:キリスト教を守る覚悟もありました。
ウリムクオツ:幕府に立ち向かう、やっつけたい気持ちが強かったです。
幻朋:それぐらいの気持ちだったんですね。地球人の方から情報を教えていただいたのですが、実際に戦いを指揮していたのは四郎の父や武士達で、戦い慣れしていて指揮も的確で幕府軍は手こずっていたそうです。
メラムサフラ:天草四郎の作戦の元に父や周りの人達が実際に戦っています。
ウリムクオツ:親子の連携が取れていますね。
幻朋:四郎が作戦を立ててお父さん達が実行していたんですね。
一揆軍が原城に篭城した理由
幻朋:一揆軍が篭城していた理由は、日本全国にいるキリシタンに呼びかけて蜂起するのを待っていた説や、ポルトガルからの援軍を待っていたのではないかという説があるそうです。原城の周りは海に囲まれているので、どうしてそんな場所に篭城したのか気になります。
メラムサフラ:外国から助けが来ると信じていました。
幻朋:ポルトガルですか?
ウリムクオツ:はい。でも来なかったです。
幻朋:そうなんですよね…。援軍の呼びかけはしていたんですよね?
ウリムクオツ:していました。でも協力はしてくれませんでした。
幻朋:なぜ来てくれなかったのでしょう?
ウリムクオツ:日本との取引がなくなるからです。
幻朋:もしかして貿易とかですかね?ここで反乱軍に加わったら国と取引してもらえませんよね。
メラムサフラ:キリシタンの人達の事は大事だから悩んだらしいです。でも、やはり国の事の方が大事でした。
ケスリロ:裏切られたのか。
幻朋:日本にキリスト教を伝えてくれた人達は、四郎達からしたら仲間ですよね…確かに裏切られたと感じてしまいますね。日本各地のキリシタンへの呼びかけはできなかったのでしょうか?
メラムサフラ:そこまでできませんでした。
板倉重昌、松平信綱が攻め入る
幻朋:まず最初に幕府の討伐軍率いる板倉重昌という人が攻めてきましたが、一揆軍が勝利したそうです。こういう聞き方は失礼かもしれませんが、板倉重昌軍は弱かったのでしょうか?
メラムサフラ:そういう事ではありません。
幻朋:違いますか!(笑)すみません。
メラムサフラ:幕府の方は正直甘く見ていて、最初にそういう人達を送りましたが、勢いが強すぎてやられてしまいました。
幻朋:ただの一揆軍だと思って油断していたのかもしれませんね。そこで次に松平信綱という人が派遣されました。九州の増援を受けた討伐軍は12万以上にもなり、原城を完全包囲しました。忍者隊を原城に送り込み、一揆軍の動向を調べさせると兵糧がわずかな事が判明したため、兵糧攻めをしたそうです。
オルアエル:ずるいね。
幻朋:当時は兵糧攻めという作戦があったんです。次にやって来た松平信綱はすごい人だったのでしょうか?
ウリムクオツ:色々な作戦を立てるのが得意です。
幻朋:策士なんですね。兵糧攻めは信綱が考えたんですね?
メラムサフラ:そうです。
幻朋:ふと思ったのですが、討伐軍は12万人も兵がいるなら城を攻めても勝てそうじゃないですか?なぜ攻め込まなかったのでしょう?
メラムサフラ:一度やられているから相手の規模を把握する必要がありました。
幻朋:一揆勢がどれくらいいるか分からないから攻めなかったという事ですか?
ウリムクオツ:何を考えているか分からなかったからです。
幻朋:様子を見ながらだったんですね。私の考えが全部外れていますね(笑)やはり頭が良い人の考え方は全然違いますね。私なら人数が多いからいけると思って、すぐに攻めているかもしれません。
ケスリロ:どこかに隠れてるかもしれないな。
幻朋:自分だけ隠れるとか弱すぎませんか(笑)私は完全にすぐやられてしまうモブ武将ですね。
ウリムクオツ:最初の方の人達がそういうタイプで、とにかく攻め込んでやられました。
オランダ船から攻撃を受ける
幻朋:次にオランダ商館長が幕府軍にコーデリング砲を提供、更にデ・ライプ号を島原に派遣し艦砲射撃を行いました。攻撃の効果はありませんでしたが、ポルトガルからの援軍を期待していた一揆軍に心理的なダメージを与える目的だったのではないかと言われています。
メラムサフラ:攻撃はしましたがわざと届かないように撃ちました。
幻朋:キリシタンを攻撃したくなかったんですか?でも、オランダは四郎達が待っていた国ではないですよね?
メラムサフラ:待っていた人達ではないです。オランダにキリシタンがいます。
ウリムクオツ:自分達でキリシタンを◯してしまうのは嫌だったようです。
幻朋:だから砲撃したくなかったんですね。松平信綱の作戦ではないんですね。
ウリムクオツ:そうです。
オルアエル:どっちの味方なの?
幻朋:何とも言えない感じですよね。船からの砲撃で一揆軍はショックを受けていたのでしょうか?
メラムサフラ:精神的ダメージを与えているようです。
幻朋:もう終わりだという感じになっていたのでしょうか…。ポルトガルの船が来たのかな?!と期待しますよね。四郎達の気持ちを考えると苦しいものがありますね。
メラムサフラ:援軍が来たと思ったけど違ったので、かなりのショックを受けていたようです。
投降勧告の手紙
幻朋:討伐軍は、キリシタンではなく強制的に参加させられた者は助命すると一揆軍に呼びかけましたが失敗しました。中には強制参加の人もいたんですか?
ウリムクオツ:います。一般の人で戦う人もいれば逃げている人もいます。
幻朋:残った人もいたんですね。また、捕らえられていた四郎の母や姉妹に投降勧告の手紙を書かせて送りましたが、一揆軍はこれを拒否したそうです。
メラムサフラ:書かせてはいないです。この情報はないです。
原城が総攻撃を受けて全滅する
幻朋:松平信綱が一揆軍の遺体の胃を調べさせると海藻しか入っていなかったので、食料が尽きかけていると判断したそうです。
メラムサフラ:海に入って取ってきています。
幻朋:もう食料はなかったんですね。
メラムサフラ:ほとんど残っていなかったです。
幻朋:4月8日、討伐軍は兵糧攻め継続か総攻撃をするか話し合い、乱が長期化しないように総攻撃を行う事に決めました。
メラムサフラ:全体的に弱ってきた所を狙っていったようです。
幻朋:それまで待っていたんですね。4月11日、諸大名が原城の攻撃を開始しました。一揆軍は兵糧も弾薬も尽き、兵の数も圧倒的に不利で原城は落城しました。1638年4月12日、天草四郎は討ち取られ一揆軍も全滅したそうですが、この時の流れを教えていただけますでしょうか?
メラムサフラ:4月10日から2週間くらいかかっています。
幻朋:10日と載っているんですね。四郎は◯されていますか?生き延びた説があるのですが…。
ウリムクオツ:◯されています。
メラムサフラ:13日に亡くなっています。
幻朋:4月12日じゃないんですね。前回は……(前編の内容を確認しました。)年数しか聞いていませんでしたね。
メラムサフラ:そうです。調べたら13日でした。
幻朋:その後2週間かけて全員やられたという事でしょうか?
ウリムクオツ:全員やられています。
メラムサフラ:逃げようとした人はたくさんいたみたいですが、逃げられなかったみたいです。
幕府軍が四郎の顔を知らなかった理由
幻朋:幕府は四郎がどんな容姿をしているかの情報がなかったので、持ち込まれた少年達の首のどれが四郎か分からなかったそうです。
メラムサフラ:色んな首を、捕まえている親族に見せてそれで判明しました。……これはお母さんですね。
幻朋:!!!…まさにその通りです!さっきの続きを読みますね。そのため四郎の母親に首を見せて、陣佐左衛門という人が持って来た首を見て母が泣き崩れた事により、その首と断定したそうです。これは本当なんですね。
メラムサフラ:合っています。
オルアエル:可哀想だよ。
幻朋:自分の子供の首を見るなんて…このお話はきついですね。そして、これについても地球人の方からメッセージをいただいておりまして、3ヶ月もの間幕府軍が四郎の顔を知らないのはおかしい気がする。これには四郎とよく似た少年や若者が多数いたという説がある、との事ですが何か理由はありますか?
ウリムクオツ:父親と戦いの中心の人達の間に隠れていました。
幻朋:隠れていたというと…?
ウリムクオツ:その人達しか顔を知らなかったので、それ以外の人達は誰も知らなかったです。
幻朋:限られた人しか知らなかったんですね。でも、四郎が人気者だったから総大将になったというお話も聞きました。それなら結構な人数が顔を知っていたという事でしょうか?
メラムサフラ:小さい頃から知っているのが100人くらいです。あとは他の人は噂とかでしか知らないです。
幻朋:名前が知られているくらいの知名度はあったんですね。確かにそれなら有名人ですね。70日の間四郎は皆の前にほぼ姿を見せておらず、すごく狭い城内でそんな事が可能なのかというメッセージもいただいております。なぜ一部の仲間にしか四郎の姿を教えていなかったのでしょうか?
メラムサフラ:敵に教える人が出てくるかもしれないからです。これは天草四郎のお父さんが考えた作戦です。
幻朋:なるほど!敵に情報が漏れるのを防いでいたんですね。だから味方も四郎の顔を知らなかったんですね。幕府は少年が総大将だという情報だけ知っていたと……。あと、四郎の他にも一揆勢に子供がいたんですね?
メラムサフラ:天草四郎と同じ年の人達が結構たくさんいました。
ケスリロ:そんなにみんな戦ってたんだな。
幻朋:四郎の服装について前回お聞きしましたが、この時はどんな格好でしたか?戦の総大将というと、豪華な鎧を着ているイメージがありますがそれだとバレますよね。
メラムサフラ:目立つような恰好はしていません。
幻朋:普通の着物に十字架のアクセサリーを着けている感じでしょうか。
メラムサフラ:十字架はみんな着けています。
幻朋:四郎の顔が知られていないのは、バレないように徹底していたからなんですね。
ウリムクオツ:あとは別な名前を一時的に付けていました。
幻朋:確かに!四郎って呼んだら分かりますよね。
天草四郎は生き延びていた説について
幻朋:島原の乱で天草四郎は実は生きていた説があります。四郎の母が南蛮かフィリピンに逃げたと言っていたそうです。
メラムサフラ:そういう発言をすれば、四郎はもう日本にはいないと思われるからです。
幻朋:もしかして四郎が亡くなる前にやった作戦ですか?
メラムサフラ:そうです。
幻朋:乱の後にそのような話が出てきて、生き延びた説になったのかもしれないですね。あと、立て籠っていた原城は海に面しており、城の下から地下道が発見されています。四郎は最悪の事態や逃亡経路ぐらいは考えたはずでは?というメッセージもいただきました。地下道について何か情報はありますか?
ウリムクオツ:そこは使われていたみたいですが、詳しくは書いていないです。
幻朋:海藻を取りに行ったりしていたのでしょうか…。
ウリムクオツ:海藻じゃないと思います。
幻朋:すみません(笑)
天草四郎のお墓はどこにあるのか?
幻朋:四郎のお墓はどこにありますか?
メラムサフラ: 島原の中にその時に◯された人が一気に埋められています。
幻朋:そうなんですね。一揆勢の方々と一緒に埋められたんですね。
メラムサフラ:ある程度まとめられています。その中にあると思いますが、詳しい場所までは分かりませんでした。
幻朋:いつか遺骨がたくさん出土するかもしれませんね。
天草四郎は豊臣秀頼の子供?
幻朋:最後に四郎に関するちょっとした謎について質問して終わりたいと思います。豊臣秀吉の子・秀頼が生き延びていて、秀頼の息子が天草四郎ではないかという説があるそうです。なぜこの説があるかというと、薩摩に秀頼の墓がある、秀吉と同じひょうたんの馬印を使っていたという点があるそうです。
メラムサフラ:子供じゃないです。
幻朋:確かお父さんは益田好次という方でしたね。馬印についてはどうでしょうか?
メラムサフラ:使っていないと思います。
幻朋:別な方が使っていたものでしょうか?これは不明ですね。
実は天草四郎には奥さんがいた?
幻朋:実は天草四郎には奥さんがいたかもしれない説があるようです。
メラムサフラ:結婚はしていないです。
幻朋:分かりました。
◯輪◯宏さんは天草四郎の生まれ変わり?
幻朋:おそらくこの質問は前世に関するので厳しいと思いますし、まだ生きていらっしゃる方なので見れないかもしれませんが、一応お聞きしたいと思います。◯輪◯宏さんという方は天草四郎の生まれ変わりだというお話があるそうです。しかしご本人がこの話は嘘だったと言っているそうで…。
※読者様がネットで詳しく調べてくださった所、◯輪さんが前世を否定した件はデマだそうです。今は霊を見えないようにしてもらっており、霊が見えることを否定していたそうです。天草四郎が前世なのは認めているそうです。そして一緒に出演者していた霊能力者さんも肯定したそうです。
(一応、用意してあった◯輪さんの画像を見てもらいました。)
ウリムクオツ:今生きている人だから、そういう情報は見れません。
幻朋:やはり簡単にこういう事はできないんですね。
オルアエル:全然似てないよ。
幻朋:オルアエルさんも実物の天草四郎を見ているんですね。私も見たいです(笑)あと、もう1つメッセージがあるので読みますね!「天草四郎一人じゃなかった説があったり、類魂(グループソウル)のしすてむがあるから、もし仮に天草四郎がユニット名じゃなく単体であっても、現代で魂が別れてる可能性がありますよね。恐れ入りますがザックリじゃなく細やかに聞いてもらって良いですか?」
ウリムクオツ:魂の情報に関与する事はできません。それに人の魂は更に分かれる事はありません。
メラムサフラ:前にも同じような話をしましたね。個人の魂から転生は1つです。
幻朋:分かりました。これで天草四郎のお話は終わりです。皆さん長時間ありがとうございました!最後にオルアエル神社とシノエテさんへのメッセージをお伝えしてから帰りますね。
ウリムクオツ:私も聞きますよ。
メラムサフラ:シノエテさんを呼びますね。
(皆さんからいただいたメッセージへのお返事を記録しました。)
ウリムクオツ:また参加できたらします。
ケスリロ:来れたら来るぞ。
シノエテ:私も来ます。
幻朋:ぜひお願いします!カテ(ありがとう)、タルム(さようなら)。
メラムサフラ:またお待ちしています。
オルアエル:またね。
天草四郎のお話は以上となります。今回も皆様からいただいた質問や情報のおかげで、様々な事が聞けました。しかし質問の中には詳しく分からない点もあり、申し訳ございませんでした。
四郎についての情報を一通り見ていた時に、「大変な人生だったんだな…」と思っていましたが、歴史の裏に潜んでいる情報を知り、更に胸が詰まりました。
質問のリクエストをいただく前までは、天草四郎という名前を知っている程度だったので、今回をきっかけにどんな人物だったのかを知る事ができて良かったです!