親鸞の夢に聖徳太子が現れたのは本当なのか?長男なのになぜ出家したのか?

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今回は、浄土真宗の宗祖の親鸞(しんらん)についてのお話です。仏教界の偉人は、これで四人目となります。普段は仏教などについて触れる事があまりないので、私自身は学ぶ良い機会になっております。
親鸞さんに関しては、そこまで謎が多い人物ではなさそうですが、基本的な歴史に沿ってどのような人物だったのかを聞いてきました。どうしても難しい単語が出てきてしまいますが、軽くでも親鸞さんがどんな人物なのかを知っていただければ幸いです。
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いつもの場所に集合

メラムサフラ:お待ちしていました。オルアエルを呼びました。アマテラスさんが来るのがもうすぐですね。
幻朋:こんばんは。いよいよあと数日ですね!
メラムサフラ:何をしようか考えています。
幻朋:アウヨクミラトさんがアマテラス様を招待した時はどんな事をしたのでしょう?
メラムサフラ:サヴィラジヌを案内して、重要施設で色々と話をしたらしいです。
幻朋:その頃とはまた街並みも違っているでしょうし、また星の見学も良いかもしれないですね!
オルアエル:来たよ。
幻朋:あ、オルアエルさんこんばんは!
(先にオルアエル神社のお返事をもらいました。)
幻朋:今日は親鸞という方のお話です。
オルアエル:またよく分からない人だね。
メラムサフラ:今見てみます。…………見つけました。
幻朋:オルアエルさんにはちょっと難しいお話かもしれませんが、ぜひ一緒に聞いてくださいね!それでは、よろしくお願いします。

親鸞の人物像

生没年について

幻朋:今回は出来事の年月日などを旧暦に統一しました。まず、親鸞の生没年は1173年4月1日〜1262年11月28日です。メラムさんが見ている地球の情報だと新暦表示なので、日付が違うかもしれません。
メラムサフラ:そうです。1173年5月15日〜1260年‪9月7日‬と書いてあります。
幻朋:ちなみに新暦だと、1173年5月21日〜1263年1月16日となっています。違っていますね。

生誕の地や父母について

幻朋:親鸞は、現在の法界寺(ほうかいじ)日野誕生院付近で誕生しました。
メラムサフラ:京都です。
幻朋:父は皇太后宮大進(こうたいごうぐうのだいしん)日野有範(ひのありのり)で、母は貴光女または吉光女(きっこうにょ)と言うそうです。
メラムサフラ:載っていなさそうです。
幻朋:分かりました。次に進みます。

幼少期の様子

幻朋:幼名は、松若磨、松若丸、十八公麿(まつまろ)です。
メラムサフラ:親鸞としか書いてありません。
幻朋:幼少期はどういう子でしたか?
メラムサフラ:周りの子供と比べると少し変わっています。文字を読むのが好きで、大人と話している事が多いです。
幻朋:落ち着いていますね。
メラムサフラ:大人しいです。子供みたいに遊ぶ事があまりありませんでした。
オルアエル:もっと遊んだ方が良いよ。
メラムサフラ:真面目ですね。

親鸞の性格

幻朋:大人になってからはどのような性格の方でしたか?
メラムサフラ:勉強ばかりしています。
幻朋:やはり変わらず真面目な方ですね。
メラムサフラ:あまり話す事なく静かです。

9歳で得度する

幻朋:1181年9歳の頃、叔父の日野範綱(ひののりつな)に連れられて、京都青蓮院(きょうとしょうれんいん)に入りました。後の天台座主・慈円(慈鎮和尚・じちんかしょう)の元で得度して範宴(はんねん)と名乗りました。
メラムサフラ:父親が連れていってくれなかったため叔父に頼みました。反対されていたようです。
幻朋:お父さんは反対していたんですね。親鸞は長男なのになぜ出家したのかという質問をいただいています。親鸞は上のお兄さんなんですね。
メラムサフラ:兄弟はいます。親鸞は兄弟で一番上みたいです。本人が出家したかったけれど反対されていました。
幻朋:反対を押し切って出家した感じでしょうか?
メラムサフラ:反対されていてこっそり行きました。叔父に協力してもらって連れていってもらったんです。
幻朋:なぜそこまでしたのでしょう?
メラムサフラ:仏教の世界に入りたかったそうです。
オルアエル:変わってるよね。
幻朋:そこまでの想いがあったんですね!そして伝説では、慈円が得度を翌日に延期しようとした際に9歳の範宴が、「明日ありと思う心の仇桜(あだざくら)、夜半に嵐の吹かぬものかは」と詠んだそうです。
メラムサフラ:それは載っていませんでした。

叡山修学(えいざんしゅうがく)

幻朋:出家後は叡山(比叡山延暦寺)に登り、慈円が検校(けんぎょう)を勤める横川の首楞厳院(しゅりょうごんいん)の常行堂で、天台宗の堂僧として不断念仏の修行をしたそうです。叡山で20年に渡り厳しい修行を積みますが、自力修行の限界を感じるようになったそうです。
メラムサフラ:延暦寺に入っています。
幻朋:20年も修行をしていたそうですね。
メラムサフラ:25歳までいます。
幻朋:そうなると16年くらいですね。
メラムサフラ:大体の事を学んだのでやめました。

六角夢告(ろっかくむこく)

幻朋:1201年の春頃、親鸞が29歳の時に叡山を下山して…とありますが、25歳という事になりますね。後世の祈念のために六角堂へ百日参籠(さんろう)を行いました。95日目(同年4月5日)の夢に聖徳太子(救世菩薩の化身)が現れ、
「行者宿報設女犯(ぎょうじゃしゅくほうせつにょぼん)
 我成玉女身被犯(がじょうぎょくにょしんぴぼん)
 一生之間能荘厳(いっしょうしけんのうしょうごん)
 臨終引導生極楽(りんじゅういんどうしょうごくらく)」
(修行者が前世の因縁によって女性と一緒になるなら、私が女性となりましょう。そして清らかな生涯を全うし、命が終わる時は導いて極楽に生まれさせよう。)
という偈句(げく)に続けて、
「此は是(これ)我が誓願なり 善信(ぜんしん)この誓願の旨趣(ししゅ)を宣説(せんぜつ)して一切群生(いっさいぐんせい)にきかしむべし」
(これは私の誓願である。あなたはこの誓願の趣旨を一切の人々に説き聞かせなさい。)
というお告げを得ました。これは本当の話でしょうか?
メラムサフラ:そう書いています。
幻朋:では、聖徳太子は今は神様なんですか?!
メラムサフラ:仏の神になっています。
幻朋:神と話せる人だとは聞いていましたが、まさか神になっていると思いませんでした!
幻朋:親鸞はこれに従って、夜明けと共に法然が住していた吉水草庵(よしみずそうあん、京都市東山区)を訪ねました。その後、100日に渡り法然の元へ通って聴聞しました。
メラムサフラ:そう書いています。
幻朋:聖徳太子から法然さんの所に行くように言われたのでしょうか?
メラムサフラ:100日の修行を終えた後に法然の所に行きなさいと言われています。聖徳太子が言ったとは詳しく書いていませんでした。

法然に入門する

幻朋:法然の専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教えに触れて入門を決意しました。この時に法然から「綽空(しゃっくう)」という名前を与えられました。親鸞は研鑽(けんさん、深く研究する事)を積み、法然に高く評価されるようになりました。
メラムサフラ:認められています。
幻朋:この時に綽空という名前になっていますか?
メラムサフラ:これについては載っていないです。
幻朋:名前に関しては情報がなさそうですね。そして、1205年4月14日、入門してから5年後には選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう、選択集)の書写と、法然の肖像画の制作を許されました。法然は選択集の書写を、門弟の中でもごく一部にしか許さなかったそうなので、親鸞は期待を寄せる人として認められていました。
メラムサフラ:書いているようです。

改名について

幻朋:1205年閏7月29日、顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)に「また夢の告(つげ)に依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもって名の字を書かしめたまい畢りぬ(おわりぬ)」という記述があります。親鸞は改名を願い出て、法然の肖像画に改名した名前を法然に記入してもらったそうです。改名した名前については、親鸞自身は言及していませんが、改名した名前は善信ではないかという説があります。綽空から善信になって親鸞になったのか、綽空から親鸞という名前になったのか分かりますでしょうか?
メラムサフラ:この時に親鸞という名前をもらったそうです。それまでの情報は載っていません。

親鸞の妻について

幻朋:妻帯の時期ついては、確証となる書籍などがないので、諸説あるそうです。玉日(たまひ)と京都で結婚した説、恵信尼(えしんに)と京都で結婚した説、玉日と結婚後に恵信尼と再婚した説、玉日と恵信尼は同一人物で再婚ではないという説があります。
メラムサフラ:玉日さんだけだと思います。それ以外は書いていませんでした。
幻朋:そうなんですね!当時は、高貴な罪人が配流される場合、お世話のために妻帯させるのが一般的で、配流前に京都で妻帯したという説が有力視されているようです。
メラムサフラ:京都で結婚しています。結婚の経緯は載っていませんが、お互いに気に入っていたようです。
幻朋:親鸞は、妻との間に4男3女の7子をもうけたそうです。ただし、7子全員が恵信尼の子供ではないとする説があるそうです。
メラムサフラ:こちらには5人と書いてあります。
オルアエル:たくさんいるね。
幻朋:玉日さんとの子供は5人いたんですね。

師弟配流

幻朋:1207年2月、法然の弟子が後鳥羽上皇の寵愛する女官達と密通し、上皇の留守中に女官が出家してしまいました。それが上皇の怒りに触れて、専修念仏の停止(ちょうじ)と法然の弟子4名を死罪、法然と親鸞を含む7名の弟子が流罪にされました。
メラムサフラ:そう書いてあります。◯されています。
幻朋:本当の事なんですね。そして、二人は遠くに行かされたんですね。
メラムサフラ:そのようです。
幻朋:法然と親鸞達は僧籍を剥奪され、法然は藤井元彦、親鸞は藤井善信(よしざね)の俗名を与えられました。法然は土佐国番田へ、親鸞は越後国国府に配流となりました。親鸞は善信を俗名に使った事もあり、「愚禿釋親鸞(ぐとくしゃくしんらん)」と名告り(名乗り)、非僧非俗(ひそうひぞく)の生活を始めました。
メラムサフラ:生活の事は詳しく載っていません。
幻朋:1211年11月17日、流罪されてから5年後に勅免され、法然に京都へ入る許可が下りました。親鸞は法然との再会を願いましたが、越後は豪雪地帯だったため京都へ戻る事ができませんでした。1212年1月25日に法然は親鸞と会う事はなく入滅しました。親鸞は京都に帰らず越後にとどまった説と、京都に帰った後に関東に行ったという説があるそうです。
メラムサフラ:京都に帰っています。法然には会いたかったようです。 

東国布教

幻朋:流罪赦免から3年後の1214年、東国(関東)での布教活動のために家族や門弟と共に越後を出発しました。信濃国(しなののくに)の善光寺から上野国佐貫庄(こうずけのくにさぬきしょう)を経て、常陸国(ひたちのくに)に向かいました。
メラムサフラ:京都から出発しています。関東へとは書いてありますが詳細が分かりません。
幻朋:文献によると、1214年に小島の草庵、1216年に大山の草庵を建てたそうです。そして、笠間郡稲田郷の領主の稲田頼重(いなだよりしげ)に招かれて、稲田の草庵を建てました。ここを拠点に精力的な布教活動を行ったそうです。どんな教えを広めていたのでしょうか?
メラムサフラ:天台宗だと思います。
幻朋:法然さんは天台宗だったのでしょうか。浄土真宗は、この時はまだ生まれていないのでしょうか?
メラムサフラ:親鸞が独自に広めていた事もあります。
幻朋:それが浄土真宗の教えかもしれませんね。また、親鸞の主著である教行信証(きょうぎょうしんしょう)は、稲田の草庵で4年をかけて書かれたとされています。親鸞は、東国での布教活動をこれらの草庵を拠点に約20年間行ったそうです。妻の玉日(恵信尼から玉日の表記にしました。)は、京に同行せずに稲田の草庵に残り、1272年にこの地で亡くなったとされています。
メラムサフラ:玉日さんは一緒に帰っています。
オルアエル:違う事書いてるね。
幻朋:所々違う所がありますね。

帰京と東国での異義異端騒動

幻朋:親鸞は62〜63歳の頃に京に帰りました。その後は著作活動に励んでいたそうです。親鸞が帰京した後の東国(関東)では、様々な異義異端が取り沙汰されたそうです。
メラムサフラ:60歳で帰っています。
幻朋:異義異端とは何でしょうか?
メラムサフラ:独自に教えを変えていてそれで色々と言われています。
幻朋:法然さんに習っていた教えなどですね?
メラムサフラ:そうだと思います。

親鸞が入滅する

幻朋:1262年11月28日 (グレゴリオ暦換算 1263年1月16日)、押小路南(おしこうじみなみ)万里小路東(までのこうじひがし)にある善法院で行年90(満89歳)で入滅しました。臨終の際は、親鸞の弟や末娘が看取ったそうです。遺骨は、鳥部野北辺(とりべのほくへん)の大谷に納められたそうです。地球の情報で計算すると87歳で亡くなった事になりますね。
メラムサフラ:特に病気とかではなさそうです。
幻朋:寿命ですね。すごく長生きですよね。
メラムサフラ:なぜ長生きだったのかは書いていません。
幻朋:頂骨と遺品の多くは弟子によって東国布教の聖地の稲田の草庵に納められたとも伝えられています。
メラムサフラ:それは載っていませんでした。

親鸞に関する疑問など

善鸞を義絶した理由とは?

幻朋:「長男を義絶した教義以外の理由とは(実母、または継母と折り合いが悪かった)?」とのご質問をいただいているのですが、親鸞の長男の善鸞(ぜんらん)に関する事みたいです。善鸞が関東で異義異端事件を起こして、親鸞が義絶したそうです。
メラムサフラ:………探しましたがありませんでした。

越後の七不思議

幻朋:最後に、越後の七不思議というものについてお聞きしたいです。保田の三度栗(さんどぐり)や山田の焼鮒(やきふな)といった伝承があるそうです。もし情報がありましたら、7つ質問したいなと思っています。
メラムサフラ:そのような情報は載っていません。すみません。
幻朋:そうでしたか。こうして伝説になるくらい親鸞は有名なんですね。親鸞について調べてくださってありがとうございました!
メラムサフラ:結構載っていましたね。
幻朋:確かに、もっと情報が少ないかと思っていました。近々クラドニ図形というものについてやりたいと思います。周波数によって砂や水の形が変わるそうです。
オルアエル:そういうのなら良いよ。
幻朋:拠点の皆さんと一緒にやったら面白いかもしれないですね!
メラムサフラ:そうしましょう。
幻朋:その際はよろしくお願いします。今回も色々と聞けて勉強になりました。カテ(ありがとう)です!
オルアエル:またね。

サヴィラジヌ語講座

幻朋:太陽の次は水星ですね。水星は何と言いますか?
メラムサフラ:キカニです。
キカニ

親鸞についてのお話は以上となります。この後、浄土真宗について少し調べてみました。親鸞自身に開宗の意思はなく、法然に師事できた事を喜びに生きていたそうです。親鸞が亡くなった後に門弟達が教団として発展させ、宗旨名として浄土真宗を用いるようになったそうです。
法然は親鸞にとって大きな存在だったんですね。二人が流罪になり、結局最後まで会えなかったのはとても悲しかったのではないかなと思いました。
また、夢の中に仏の神となった聖徳太子が現れたお話も驚きました。親鸞が真剣に修行を積んできて、その想いは仏の神に認められるほどだったんだなと感激しました。歴史に残る偉人はすごいですね。