豊臣秀吉の出自や性格など様々な謎を紐解く!秀頼は実子なのか?天下統一を狙っていた理由とは?

豊臣秀吉の出自や性格など様々な謎を紐解く!秀頼は実子なのか?天下統一を狙っていた理由とは?
今回は天下統一を果たした豊臣秀吉についてです。誰もが名前を知っている有名な戦国武将ですよね。歴史に詳しい方なら、彼がどんな人生を歩んだか何となくお分かりになると思いますが、私はほとんど忘れかけておりました(笑)
読者様からいただいた質問とあわせて、秀吉にまつわる謎を探していた所、こんな事が分かりました。
「秀吉の出自はほとんど分かっていない。残されているエピソードなども本当かどうか確証はない。」という事でした。意外にも秀吉は謎に包まれた人物だったのです。
そこで、ざっくりと彼が亡くなるまでの一生を通して、気になる点を宇宙人さんに質問してきました。秀吉がどのような人物だったのか、みなさんにご報告していきたいと思います。
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サヴィラジヌに到着

サヴィラジヌの重要施設に入るとメラムさんが出迎えてくれました。その後、ケスリロさんのモニタールームへ移動しました。
ケスリロ:お待ちしてました。
メラムサフラ:オルアエルを今呼んでいます。
幻朋:お邪魔します。今日は昔にいた地球人の話をしようと思っています。私の国では有名人です。オルアエルさんが来たら始めますね。
ケスリロ:遅いな。
メラムサフラ:すぐ来ると思います。
オルアエル:来たよ。
ケスリロ:遅かったな。
オルアエル:すぐ来たよ。
幻朋:こんにちは。まだ数十秒しか待っていないので早いですよ(笑)サヴィラジヌは一瞬で移動する習慣だから、私達とは感覚が違うんですね。
メラムサフラ:すぐ来れますからね。
幻朋:では、オルアエルさんも来たのでお話を始めていきますね。以前話した織田信長と同じ時代にいた、豊臣秀吉という人です。
メラムサフラ:載っています。調べながら答えます。

秀吉の出自について

実の父と母は誰なのか?

幻朋:秀吉が生まれた年数がはっきりしていないそうで、1536年か1537年のどちらでしょうか?
メラムサフラ:1537年です。
幻朋:秀吉は尾張国の下層民の生まれと言われていますが、農民みたいな家系だったのでしょうか?
メラムサフラ:この方の父親も同じように織田信長の父親に仕えています。普通の農家という感じではなさそうです。
幻朋:信長のお父さんの所に?!お父さんの代から繋がりがあったんですね。両親の名前は載っていますか?母は仲(なか)と言います。それか大政所かな?父は木下弥右衛門です。
メラムサフラ:大政所で載っています。お父さんは弥右衛門とだけ書いています。
幻朋:この二人から生まれたという事で間違い無いですね。

幼少期はどのように過ごしていたのか?

幻朋:その後、お母さんが再婚して竹阿弥(ちくあみ)という次のお父さんができるのですが、秀吉と折り合いが悪かったそうです。この辺は本当でしょうか?
メラムサフラ:父親が亡くなってからその人と結婚しています。あまり仲良くないです。邪魔者扱いされていました。
オルアエル:ひどいね。
幻朋:いじめにあっていた秀吉の事を母親が心配してお寺に出したとか、家出したという説があります。15歳で針を売って生活していたようです。
メラムサフラ:しばらくは我慢していますが、その後に家を出ています。
ケスリロ:可哀想に。
メラムサフラ:確かに最初は一人で生活していますが、針というのは載っていません。
幻朋:では、生活資金はどうしたんでしょう?
メラムサフラ:家を出る前にお金を貯めています。我慢している間に貯めています。
幻朋:全部一人でやりくりして生活していたんですね。

松下之綱に仕えたきっかけ

幻朋:その後は他にエピソードはありますか?
メラムサフラ:松下と書いてあります。
幻朋:おぉ〜すごい(笑)やっぱり次はその話になるんですね!これから話そうと思っていました。秀吉は今川家の松下之綱に仕えます。之綱のお父さんに仕えたという説もあります。
メラムサフラ:之綱の方です。剣の腕前を認められています。
幻朋:なぜ之綱の所に行ったんですか?自分から志願したんですか?
メラムサフラ:誘われたと書いています。秀吉が普通の人ではないと感じたようです。
幻朋:只者じゃないオーラが出ていたんですね。ある程度目をかけられていましたが、同輩から妬まれ、いじめられて出ていく事になります。
メラムサフラ:何でもできるから周りは面白くなかったようです。
オルアエル:メラムさんみたいな人だね。
ケスリロ:その通り。
メラムサフラ:しばらくはいましたが、居づらくなって出ていっています。
幻朋:幼少期からずいぶんと過酷な人生を送っていますね。

信長とどうやって出会ったのか?

幻朋:そしていよいよ、18歳から織田信長に仕えます。家来にしてくれと直訴した説がありますが、どうやって信長の元へやって来たのでしょうか?この辺の情報は残っていないそうです。
メラムサフラ:秀吉の噂が広がっていました。信長もそれを聞いて気になっていました。秀吉からお願いしに行っています。
幻朋:信長も秀吉の存在を知っていたんですね。そして、やっぱり自分から行ったんですね。
メラムサフラ:父親の事も聞いていたので、信長は断りませんでした。
幻朋:お父さん同士の繋がりがあったのも奇遇ですよね。秀吉が仕え始めた頃、草履取りという役割をしていたんですが、その時の有名なエピソードがあります。寒い時期に冷えた草履を懐に入れて温めて、信長を喜ばせたそうですが本当でしょうか?
オルアエル:優しいね。
メラムサフラ:最初は雑用みたいな事をしています。でも、そのような話を見つけられませんでした。
幻朋:そうでしたか…信長は秀吉を気に入っていたのでしょうか?
メラムサフラ:最初は気になって見ていました。期待はしていたようです。
幻朋:秀吉の事を猿と呼んで可愛がっていたそうですが本当ですか?
メラムサフラ:猿とは言っていない。
幻朋:どこからそんな話が出てきたんでしょうね?じゃあ、秀吉って呼んでいたんですね?
メラムサフラ:信長が秀吉と名付けました。
幻朋:あれ?元は秀吉じゃないんでしたっけ?
メラムサフラ:木下藤吉郎と載っています。(後で検索して確認しました。)
幻朋:あ〜、そんな呼び方もあったような…?信長が秀吉と呼ぶようになったんですね。
メラムサフラ:藤吉郎は長いからという理由らしいです。猿については見つからないです。
幻朋:信長が猿と呼んでいた歴史的な確証はないそうなので、後から作られた話なのかもしれないですね。

ねねとの仲は?

幻朋:秀吉の人生の出来事をいくつかお話しますね。1561年にねねと恋愛結婚します。当時はお見合いなどが普通なので珍しいそうです。ねねは母親の反対を押し切って結婚しました。ちなみに奥さんの名前はねねですか?
メラムサフラ:ねねという名前は載っています。
幻朋:夫婦仲は良かったですか?奥さんに手紙を書いたりしていたみたいですが。
メラムサフラ:仲良しです。

一夜城は一夜で建ったのか?

幻朋:面白いエピソードがあります。1566年に墨俣一夜城を建設して功績をあげました。信長の命令で、お城をわずかな期間で建てたそうですが本当でしょうか?
メラムサフラ:一夜ではないですが、かなり早いみたいです。1000人以上集めて建てたそうです。
幻朋:計画したりするのが得意なんですね。もしかして秀吉は頭脳明晰だったりして?

秀吉の活躍と信長の死

幻朋:秀吉の名があがるようになってきます。1570年に浅井長政という人に裏切られてピンチになる事件が起きますが、ここでも活躍して功績を認められます。
メラムサフラ:信頼はかなりあります。秀吉と名付けられてからは信長の近くで動いています。かなり気に入られていたようです。頭の良さと行動力を認められていました。
幻朋:秀吉はすごい武将だったんですね。この後も色々な戦いに参加していますが、全部紹介しきれないので大事なポイントまで進みますね。1582年、あの本能寺の変が起きます。秀吉は中国へ攻め込んでいました。この時の気持ちはどうだったんでしょう?
メラムサフラ:秀吉は怒っています。明智光秀をやっつける事だけを考えて戻っています。
オルアエル:なんか聞いた事ある話だね。
ケスリロ:聞いた事ない話だね。
メラムサフラ:以前にもやりましたね。
幻朋:弥助が信長の首を持って逃げたという話ですね。ちなみに、お葬式の時に信長の木像を二体作って、一体は祀ってもう一体は火葬したみたいです。
メラムサフラ:小さなものを作ったそうです。
幻朋:等身大の木像かと思っていました(笑)

秀吉はなぜ天下統一をしたかったのか?

幻朋:その後、秀吉は全国を平定して天下統一を果たします。やはり天下統一を狙っていたのでしょうか?
メラムサフラ:狙っていました。一番偉い人になりたかった。
幻朋:一般的な家系からここまで登りつめた人は、世界的に見ても滅多にないそうです。なぜそこまでして偉い人になりたかったんですか?目標は何だったんですか?トップになれば思い通りにできるからとか?
メラムサフラ:こういう人は他にいないと思います。やはり子供の頃の記憶があるからです。自分が一番になって見返してやろうという感じ。
幻朋:ひどくいじめられていましたもんね…トラウマをバネにしたんですね。簡単にはできない事なので尊敬します。

秀頼は実の子なのか?

幻朋:秀吉はなかなか子宝に恵まれず、側室の淀殿との間にのみ子供が生まれました。しかし実は別な男性との子供で、秀吉には実の子はいないのではないかという説があります。豊臣秀頼は秀吉の子供ですか?
メラムサフラ:実の子供ではないとあります。
幻朋:やっぱりそうなんですか?!もしかして、子供ができない体だったのでしょうか?
メラムサフラ:そのような事は書いていないです。
幻朋:では、秀吉は自分の子供だと思って何も知らずにいたんですか?
メラムサフラ:自分の子供じゃないと知っていました。それでも可愛がっています。
幻朋:気付いていたんですね…。
ケスリロ:アウヨクミラトさんだな。(アウヨクミラトさんは子供が生み出せない体だったそうです。)
幻朋:メラムさんを可愛がって面倒をみていたのと同じですね。
メラムサフラ:秀吉は子供ができなかったから、何となく察していたんだと思います。

醍醐の花見は本当に行われたのか?

幻朋:秀吉が亡くなる前にこんな話があります。醍醐寺諸堂の再建をした際に、各地から700本の桜を集めて境内に植えさせ、秀頼や奥さん達と一日だけの花見を楽しみました。醍醐の花見と言って有名だそうですが、本当にこのような事をやったんですか?
メラムサフラ:こちらの情報には載っていません。
幻朋:そうですか…どんな感じだったのか気になります。本当に700本も桜を植えたのかな?

秀吉の死因について

幻朋:お花見から数ヶ月後に体調が優れなくなります。食欲不振や腹痛、手足の痛みなどで苦しみ、亡くなってしまったそうです。一説では毒殺されたという話もありますが、何が原因ですか?
メラムサフラ:急に体調が悪くなったと書いています。毒などという情報はないです。病に冒されたそうです。
幻朋:病気だったんですね。亡くなったのは1598年で合っていますか?
メラムサフラ:それで合っています。
幻朋:秀吉の死後に豊国神社に神として祀られたそうですが、神様になったのでしょうか?
メラムサフラ:神様にはなっていません。
幻朋:神様みたいに扱われている感じですね。

秀吉は優しかったのか?極悪人だったのか?

幻朋:秀吉の性格についても謎が残されています。人の心をつかむのが上手く、人たらしと呼ばれていたそうです。しかしその反面、しつこい性格や極悪な性格とも言われています。本当はどんな性格だったんですか?
メラムサフラ:しつこくはなさそうです。信長が生きている時は真面目でしたが、亡くなってからおかしくなりました。
幻朋:信長がいなくなって変わってしまったんですね。
メラムサフラ:尊敬する人が亡くなった事と、全てを手に入れた事により考え方が変わっています。
オルアエル:調子に乗っちゃったんだね。
幻朋:確か信長が亡くなった後に、その関係者を処刑したりして、史上最悪の極悪人なんて呼ばれたりしているようです。
メラムサフラ:また信長みたいな人が現れるのが怖かったそうです。それでみんな処刑してしまったようです。
ケスリロ:それはいけない。
メラムサフラ:今まで真面目にやってきたからこそ、そうなってしまったと書いてあります。
幻朋:賤ヶ岳の戦いの時に暑さに苦しむ負傷兵に笠を買って、敵味方関係なく被せてあげたという話もあります。昔は人をあやめるのを嫌っていたそうですから、良い面もあったんですね。
メラムサフラ:信長のような接し方をしようとしていました。
幻朋:それって、信長は優しかったという事にもなりますよね?
メラムサフラ:信長は優しい人だったそうです。

秀吉は虎の肉を食べていたのか?

幻朋:秀吉は健康のために虎の肉を食べていたそうです。その他にも鶴や白鳥など、珍しい動物の肉も食べていたという事ですが、これはどうなんでしょう?
メラムサフラ:虎ですか…。
幻朋:はい(笑)日本では食べる人はいないと思います。
メラムサフラ:虎の肉を食べたという記録がありました。
幻朋:本当でしたね!(笑)でも、虎肉で本当に健康になるのかな…。
オルアエル:効果ないよ。

秀吉の指は6本あったのか?

幻朋:ルイスフロイスという人が秀吉の右手の指が6本あると記録しているのですが、これは本当でしょうか?秀吉が成長した時に、自分で指を切り落としたという説もありますが。
メラムサフラ:親指が二つあるという事みたいです。
幻朋:人差し指とかじゃなく親指ですか。物を掴む時とか大変そうですね。このままの状態で生涯過ごしたんですか?
メラムサフラ:不便さを感じていたみたいです。ずっとそのままの状態です。

秀吉が茶の湯にハマった理由

幻朋:最後のお話です。秀吉は茶の湯が好きで、戦場に組み立て式の黄金の茶室を持って行って茶会を楽しんでいたレベルらしいです。茶の湯とは、お茶というものを飲む娯楽みたいな感じかな?説明が難しいです(笑)
メラムサフラ:そのように書いています。どこにでも持ち歩いています。
幻朋:なぜこんなにハマっていたんでしょうか?
メラムサフラ:信長の影響だと思います。
幻朋:信長の影響力ってすごいですね。今回もたくさん興味深い話が聞けました!教えてくださってありがとうございました。長い時間お話してすみません。
メラムサフラ:また来てください。ゆっくり休んでくださいね。
ケスリロ:また来てください。
オルアエル:またね。

豊臣秀吉についての情報は以上となります。秀吉の様々な面が知れて良かったです。幼少時に体験した嫌な出来事を乗り越え、努力をしてトップまで登りつめたのは素晴らしいなと思いました。
そして、信長の存在が秀吉の人生にとても大きな影響を与えていたんだなと思いました。ここまで尊敬できる上司の元で働いてみたいです!(笑)