前編はこちらです。『最澄が様々な修行をして学んでいた理由とは?幼少期、得度後の修行、順暁から灌頂を受けるまでの様子【前編】』
後編では、最澄が帰国してからの活動や、空海との関係などについてお送りいたします。「最澄はどんな気持ちで人生を歩んでいたのかな?」と、色々と想像したり考えたりしていただければと思います!お話の後には、日吉大社の西本宮と東本宮を訪問し、参拝した時の様子もあります。
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日本に帰国して能福護国密寺を開創する
オルアエル:お待ちしてたよ。
メラムサフラ:お待ちしていました。
幻朋:こんにちは!今日はお揃いですね。
(モニタールームへ移動しました。)
ケスリロ:待ってたぞ。
幻朋:ありがとうございます!最澄さんのお話の続きをしたいと思います。またよろしくお願いします!さっそく始めていきますね。805年5月、最澄は日本に帰り、帰路の途中で和田岬(神戸市)に上陸しました。ここで最初の密教教化霊場である能福護国密寺(能福寺)を開創しました。
メラムサフラ:最澄が初めて作った密教のお寺です。今は天台宗みたいです。
幻朋:そうなんですね。ここにしばらく滞在していたんですね?
メラムサフラ:密教を教えたり、書いたりしています。
日本で最初の公式な灌頂を行う
幻朋:805年7月に上洛し、滞在中に書写した経典類は230部460巻にもなりました。書いていたというのは経典とかの事でしょうか?
メラムサフラ:そうだと思います。
幻朋:帰国当時、桓武天皇は病床にあり、宮中で病気平癒を祈りました。最澄も何かしらの能力があったのでしょうか?
メラムサフラ:仏の力を借りています。
幻朋:すごいですね。9月には桓武天皇の要請で、高雄山神護寺で日本最初の公式な灌頂が最澄により行われました。なぜ天皇に要請されたのでしょうか?
メラムサフラ:天皇は最澄に最初にやってほしかったようです。信頼していたんだと思います。
幻朋:この時空海もいたと思うのですが……あ!今確認したのですが、空海が帰ってきたのは806年なのでまだ日本にいないですね。
ケスリロ:結構ずれてるんだな。
幻朋:最澄さんが先なんですね。
日本で天台宗が開宗される
幻朋:806年、最澄の上表(天皇に対して文書を奉る事)により天台業2人が年分度者(各宗派で1年間に得度する事が許された者)となりました。これが日本の天台宗の開宗となります。年分度者は空海のお話にも出てきた単語なような気がします。
メラムサフラ:国の決めたルールで、国に認められたという事です。
空海から典籍を借りて研究をする
幻朋:この頃、空海から真言、悉曇(しったん、梵字)、華厳(けごん)の典籍を借りて研究をしました。
メラムサフラ:空海から真言密教に関する情報を借りています。
幻朋:悉曇とか華厳というのもそれに関係するものなんですね。
メラムサフラ:悉曇というのはインドの文字です。華厳は宗教の事みたいですね。
オルアエル:そんなに覚えられないよ。
弟子と共に空海から灌頂を受ける
幻朋:812年の冬、弟子の泰範(たいはん)、円澄(えんちょう)、光定(こうじょう)と高雄山寺に赴き、空海から灌頂を受けました。その際、曼荼羅の宝幢如来(ほうとうにょらい)の密号である「福聚金剛」(ふくじゅこんごう)が法号としてつけられました。これは密教の灌頂という事でしょうか?
メラムサフラ:まだ密教の事は勉強していません。
幻朋:そうなんですか?!また別な灌頂を受けたんですね。
メラムサフラ:違うようです。何の灌頂なのか、その辺は載っていませんでした。
なぜ泰範は空海に弟子入りしたのか?
幻朋:813年1月、泰範、円澄、光定を高雄山寺の空海の元に派遣して、密教を学ばせてほしいと申し入れ、3月まで最澄の弟子は高雄山寺に留まりました。確かにこの時に密教を学び始めていますね!
メラムサフラ:そうです。
幻朋:しかし、泰範だけは空海に師事したままでおり、最澄が何度も帰山するように勧告しましたが、ついに比叡山に帰る事はなかったそうです。なぜ泰範は空海に弟子入りしたのでしょうか?
オルアエル:空海の方が良かったのかな?
メラムサフラ:空海から真言密教を教わるのには時間がかかるから、もう少し修行をしないかと誘われて残ったようです。結局空海の元についてしまいました。
幻朋:残り二人の弟子は帰っていますよね?この方々も残らないかと誘われていたんですか?
メラムサフラ:他の二人はちゃんと帰りました。みんな誘われています。泰範だけ空海の弟子になりました。
幻朋:密教を極めたいと思って残っているうちに、そのまま空海の弟子になったんですね。泰範が戻って来なかった事を最澄はどのように感じていたのでしょうか?
メラムサフラ:自分の元に戻ってくる方法を考えています。
幻朋:戻ってきてほしかったんですね。
メラムサフラ:そうだと思います。
ケスリロ:修行に行って戻ってこなかったら悲しいよな。
幻朋:それほど大事にしていた弟子達だったんですね。
メラムサフラ:信頼している弟子を送ったそうです。
幻朋:それなら帰ってきてほしいですよね。最澄は悲しんでいたのでしょうか。
メラムサフラ:そこまでは載っていませんでしたが、取り戻したいと思っているから悔しいんだと思います。
最澄は空海に対してどう思っていたのか?
幻朋:813年11月、最澄は空海に理趣釈経(りしゅしゃくきょう)の借覧を申し出ましたが、「文章を読むだけでは間違った解釈をする可能性があるので、高野山で実践修行をしてください。」といったようなニュアンスで断られました。この事がきっかけで、以後は交流が絶えてしまいました。最澄は空海に対してどのような感情を抱いていたのでしょうか?
メラムサフラ:すぐに貸してくれると思ったけど、そう言われたから少し怒っています。
幻朋:怒っていたんですね。他の仏典は貸してもらえていましたが、理趣釈経だけはお断りされたみたいですね。
メラムサフラ:弟子も帰って来なかったというのもあります。我慢していたようですね。
幻朋:二人は手紙か何かでやり取りしていたんでしたっけ?その後、やり取りしているうちに、もう結構ですとなったのでしょうか?
メラムサフラ:手紙などがあります。最澄はこの時は何も連絡をしていないと思います。
幻朋:空海に断られて、それならもう良いとなってお返事もなく終わったんですね。
ケスリロ:空海は自分が経験した通りにやらせようと思ったんだな。
幻朋:恵果和尚の元で修行してきたやり方がありますもんね。
メラムサフラ:それくらい難しいものなんだと思います。
関東で布教活動を行う
幻朋:815年、和気氏(わけうじ)の要請で大安寺で講説をして、南都の学僧と論争をしました。その後に東国へ旅立ちました。
メラムサフラ:論争の辺りは載っていないです。
幻朋:分かりました。関東で鑑真(がんじん、唐出身の帰化僧)ゆかりの地の緑野寺(みどのじ、現在の浄法寺)や下野の小野寺を拠点にして布教を行いました。
メラムサフラ:天台宗の教えを広めています。どうしてそちらの方面へ行っていたかは書いていないです。
徳一と三一権実諍論が行われる
幻朋:法相宗(ほっそうしゅう)の僧侶である徳一(とくいつ)との間で仏教宗論が行われました。これを三一権実諍論(さんいちごんじつのそうろん)と言い、どちらの方便が真実の考えであるかを争いました。この論争は著作の応酬という形で行われ、実際に会って激論を交わしたという事ではないそうです。論争は比叡山へ帰った後も続きましたが、決着が付く前に最澄も徳一も亡くなってしまったため、最澄の弟子が徳一の主張は論破したと宣言して打ち切ったそうです。
メラムサフラ:この人は、空海とは密教について話し合っています。最澄とは天台宗について話しています。
幻朋:空海にも意見していたんですね?徳一さん的に、ここは違うなと思った事を指摘していたのでしょうか?
メラムサフラ:誰にでも言いたい人なようです。
幻朋:そういう方だったんですね。だから空海にも言っていたんですね。
オルアエル:そうやって色んな人に言っちゃだめだよ。
ケスリロ:他のやり方が気に入らなかったのか。
幻朋:宗派などによっても考え方とか違いそうですよね。
具足戒を破棄し天台宗の独立を目指す
幻朋:818年、最澄は具足戒を破棄しました。山家学生式(さんげがくしょうしき)を定め、天台宗の年分度者は比叡山において大乗戒を受けて菩薩僧となり、12年間は山中で修行する事を義務づけました。南都の制度から抜けて、天台宗の独立をはかりました。
メラムサフラ:先程の徳一との関係があるようです。
幻朋:論争から何か色々とあったんですね。
南都の僧綱から論難を受け顕戒論を執筆
幻朋:大乗戒壇設立に対して、南都の僧綱(そうごう、統括する役職)から論難を受けて顕戒論(けんかいろん)を執筆しました。日本の天台宗が成立するための根本理論を述べました。
メラムサフラ:………これは見つけられませんでした。
幻朋:分かりました。それにしても、色々な方から言われていて大変ですね。
最澄が遷化する
幻朋:822年6月26日、比叡山の中道院で遷化(せんげ、高僧が亡くなる意味)しました。亡くなってから7日目、大乗戒壇設立は弟子の光定と藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)、良岑安世(よしみねのやすよ)の斡旋により勅許が得られました。亡くなった原因などの情報がなかったのですが、メラムさんの方で分かりますか?
メラムサフラ:見つけられません。
ケスリロ:不思議だな。
幻朋:これも秘密なんだと思います。…大乗戒壇設立は最澄さんが亡くなった後なんですね……。
※ここからはメラムさんの個人的な考えです。
メラムサフラ:私の考えですが、最澄は自◯したんじゃないかと思います。
幻朋:え?!!なぜそう思ったんですか?
メラムサフラ:色々言われてストレスになったんじゃないかと思いました。病気とかで亡くなったなら、そう書いていても良いんじゃないかと思いました。
オルアエル:さすがメラムさんだよ。
メラムサフラ:そうと決まった訳じゃないですよ。
幻朋:確かに論争が多かったですよね。大切な天台宗を何とか独立させたいと思って、一生懸命自分の考えを伝えていたのかもしれません。目標がなかなか達成しなくて苦しかったかもしれませんね…。
メラムサフラ:私の予想です。
ケスリロ:正しいかもしれないな。
幻朋:もしそうだったとしたら、最澄さんほどの高僧が命を絶つってよっぽどですよね。それか即身仏というのになったとか?確か空海さんの時も詳しく載っていなかったですよね。
メラムサフラ:そのような事は書いてありません。
幻朋:やはりこれについては謎ですね。
最澄は神になったのか?
幻朋:最澄の死から44年後の866年、清和天皇によって最澄に「伝教大師」の名が贈られました。日本で高貴な僧侶に対する異名が贈られたのはこれが初めてでした。(「大師」は中国・日本において高徳な僧に朝廷から勅賜の形で贈られる尊称の一種)
メラムサフラ:どうしてそれくらいの年数がかかったかは書いてありません。でも、天皇にも関わりがあって日本でも活動が認められたとあります。
幻朋:そうなんですね。他にも、嵯峨天皇は最澄が亡くなったのを大変惜しまれ、当時の元号を元に「延暦寺」という寺号を授けました。元号を寺号にしたのは日本ではこれが最初だそうです。最澄以降、延暦寺は1200年間、仏教の最高位に位置づけされているそうです。
メラムサフラ:この辺は載っていないですね。
幻朋:細かい部分はないですね。最澄も空海と同じように神になっていますか?
メラムサフラ:神様にはなっているようです。
幻朋:やはりそうでしたか!伝教大師という神様になっていそうですね。
メラムサフラ:そうだと思います。名前は載っていませんでした。
幻朋:空海さんの時も、アマテラス様に「弘法大師という名前で活動している」と教えてもらいましたので、載っていないかもしれません。
最澄はなぜ色々な教えを取り入れたのか?
幻朋:最後に確認したい事があります。最澄は法華経を重んじつつ他の教えも取り入れたのはなぜでしょうか?全ての教えは法華経に通じると考えていたからでしょうか?
メラムサフラ:全ての宗教を覚えて自分がそれを広めていきたかったようです。
幻朋:一つだけに絞り込まないで、学びを広げていたのでしょうか。
ケスリロ:全てを知り尽くしたかったんだろうな。
幻朋:色々な事を取り入れるのも良いですよね。様々な角度から考えられそうです。
メラムサフラ:国のトップのような考え方ですね。
幻朋:国のトップですか…!最澄はどのようにしたいと思って活動していたんでしょうね?
メラムサフラ:みんなを平等にしたかったんだと思います。
最澄の名言
幻朋:それでは、最澄の名言をご紹介して終わりたいと思います。「因(いん)なくして果を得、この処(ことわり)あることなく、善なくして苦を免(まぬ)がる、この処あることなし」(意:何もせずにいい結果が出ることは全くないし、良いことをせずに苦しみを免れる方法も全くない)
メラムサフラ:これは載っていませんでした。
幻朋:名言までは載っていないかもしれませんね。あともう一つもご紹介します。「忘己利他(もうこりた)」文字通り、己を忘れ、他を利するという意味です。全文は「惡事向己 善事与他 忘己利他 慈悲之極」(悪事を己に向かえ、善事を他に与え、己を忘じて他を利するは慈悲之極みなり)これは天台宗の重要な教えとなっています。
メラムサフラ:最澄の性格が表れていますね。
ケスリロ:真面目な人だな。
オルアエル:地球の人はみんなこうなれば良いんだよ。
幻朋:はい、オルアエルさんの締めの言葉をいただきました(笑)確かに、相手の事も考えられたら良い世界になりますね。
ケスリロ:空海は人生に満足していると思うけど最澄はやり残したことがある。中途半端に終わったんじゃないかと思う。
幻朋:天台宗が独立してからもやりたい事はあったかもしれませんね。
メラムサフラ:とにかく真面目ですね。真面目すぎたのかもしれませんね。
幻朋:最澄さんもとても素晴らしい方でした!
オルアエル:終わったよ。
幻朋:お疲れ様でした(笑)予定では次は上賀茂神社のお話です!オルアエルさんも神社のお話なら参加しやすいかもしれません。
メラムサフラ:分かりました。
幻朋:メラムさんが頑張って調べてくださった情報を大事にまとめて発信したいと思います。今日もありがとうございました!
メラムサフラ:アマテラスさんに聞いたらまた教えてくれるかもしれないです。
幻朋:実はさっき用事があってアマテラス様とお会いしてきたのですが、最澄さんの話題を出した時に「伏せている情報もある」とおっしゃっていたので秘密だと思います。
ケスリロ:それはだめだな。
幻朋:規制にする理由があるんだと思います。ケスリロさんもまた一緒にお話ししましょうね!楽しかったです。
ケスリロ:また参加する。
メラムサフラ:またお待ちしています。
幻朋:はい!カテ(ありがとう)、タルム(さようなら)です。
オルアエル:またね。
ケスリロ:またね。
【番外編】日吉大社へ
読者様より、日吉大社訪問のリクエストをいただいたので意識体で参拝に行きました。日吉大社のマップを確認しながら、まずは西本宮へ向かいました。
建物の画像を確認しながら、無事に西本宮に到着しました。結構強いパワーを感じて頭痛がしました。お宮の前で、「最澄様について勉強をした際に、日吉大社が比叡山延暦寺との結びつきが強く重要な神社だと分かり、本日参拝に参りました。」といったような感じでご挨拶をしました。
強いパワーはガンガン伝わってきますが、特にお返事などは来ませんでした。せっかくなので東本宮の方にも行ってみました。パワーは西本宮の方が強かったです。しかし、うっすらとパワーを感じました。
実は最澄さんのお話をメラムさん達とする前に、アマテラス様の本体とお会いしていたため、かなり体力が消耗していました。日吉大社に来てからは更に体力がなくなっていました。頭がクラクラしてきていたので、お宮の前で再びご挨拶をして最後にお礼を伝えました。
「日頃、比叡山を見守ってくださり感謝しております。本日は参拝させていただき、ありがとうございました。それでは失礼いたします。」と言って空へ上がった瞬間、頭痛と共に文字が頭の中に入ってきました。
「こんどゆっくりきなさい。」という文字が見えて、私は急ブレーキをかけてその場に止まりました。「はい!かしこまりました!また日を改めます。」とお伝えしてから帰りました。
最澄さんのお話後編は以上となります。最澄さんも色々と大変な想いをしながら、日本で天台宗を作り上げてきたんだなと思いました。また一人、歴史の人物について学ぶ事ができました。最澄さんの情報を教えてくださった読者様、ご協力ありがとうございました!