聖徳太子は実在したのか?肖像画別人説、同時に複数人の話を聞いたなど様々な謎に迫る

聖徳太子は実在したのか?肖像画別人説、同時に複数人の話を聞いたなど様々な謎に迫る
聖徳太子は歴史上の人物の中でもかなり有名な人ですよね。学校の教科書でもその名前を目にした事があると思います。しかし、現代の教科書から「聖徳太子」の表記が消えてしまったというのです。
どんな人物か調べていくうちに、十七条憲法などは彼が制定したものではなく、お墓も後世の捏造であり、作り上げられた人物だと…このような話が数多く見られました。
厩戸皇子は聖徳太子と呼べるような人物ではなかったのか?それとも、やはり歴史に名を残すような偉人だったのか?真相を宇宙人さんに調べてもらいましたので、会話記録をご報告したいと思います。
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聖徳太子の人物像ついて

聖徳太子の出生、名前の由来

メラムサフラ:お待ちしていました。オルアエルは違う星に行っているので呼びました。
幻朋:ありがとうございます。今回は聖徳太子という昔に存在した人のお話です。
メラムサフラ:オルアエルが来るまでの間に探してみます。
(オルアエルさんが到着するまで二人で雑談をして待っていました。)
オルアエル:来たよ。
幻朋:こんにちは!ではさっそくお話を始めていきますね。
メラムサフラ:情報を見つけました。聖徳太子と載ってあります。
幻朋:かなり昔の人ですが日本では有名なので、やはりちゃんと載っているんですね。これもまたオルアエルさんには難しい話かもしれません…いつもすみません。
オルアエル:聞いてるよ。
幻朋:お願いします。まずは出生年数からです。574年〜622年となっています。日本書紀という資料には621年と書いているそうですが、どちらが正しいでしょうか?
メラムサフラ:合っています。622年です。
幻朋:聖徳太子は、家畜などを飼っている小屋の前で生まれたので厩戸(うまやど)と命名されたという伝説があります。その他にも、
生誕地や近辺の地名から命名されたなど様々な説があるそうです。聖徳太子という名称は、亡くなってから129年後に付けられたものです。
メラムサフラ:厩戸と書いていますね。
幻朋:小屋の前で生まれたから厩戸にしたって本当なんですかね?説がたくさんあって分からないですよね。
メラムサフラ:馬小屋の中で生まれたとあります。
オルアエル:すごい所で生まれたね。
幻朋:これって本当だったんですね!少し疑ってしまいました(笑)

2歳の時の逸話とペルシャ人説

幻朋:お釈迦様が亡くなった2月15日に、2歳の聖徳太子が「南無仏」と2回唱えて周囲を驚かせたという話があるそうですが本当ですか?
メラムサフラ:その話は書いていないです。
幻朋:では、聖徳太子はペルシャ人だったという説はどうでしょう?瞳が紫色をしていて、身長が180cmもあったそうです。
メラムサフラ:日本人です。そんなに大きくはないです。
幻朋:そうなんですね。実際は違っていても色々な説があって面白いですよね。

聖徳太子はどんな性格だったのか?

幻朋:彼はどのような人だったのでしょうか?

メラムサフラ:偉い立場の方ですね。

幻朋:そうなんです。皇族の方です。
メラムサフラ:小さい頃は子供っぽくないです。何に対しても丁寧に答えています。
幻朋:子供の頃から既に周りとは違っていたんですね。
メラムサフラ:真面目で落ち着いています。
幻朋:勉強とかはしていたんですか?
メラムサフラ:色々な事を勉強しています。
幻朋:何か目的があったんでしょうか?
メラムサフラ:お父さんにそう教えられました。あと、仏教などを勉強しているようです。
幻朋:仏教の話もしようと思っていました。また先に言われちゃいましたね(笑)これから詳しくお伺いしますね!

聖徳太子はどんな役割の人物だったのか?

幻朋:聖徳太子は実在しないという説があります。学校の教科書から名前の表記が消えて「厩戸王」となっているそうなんです。
オルアエル:勝手に変えちゃダメなんじゃない?
幻朋:定期的に見直されて、時代と共に教科書の内容も変わっているんです。例えば、「厩戸皇子は推古天皇の皇太子になって政治の全てをつかさどった」と日本書紀に書いてあるそうですが、当時は天皇が亡くなってから次の天皇を決めていたため、皇太子は存在していないという事になってしまいます。
メラムサフラ:政治と呼ばれるものの原点という事みたいです。今の政治の基盤を作ったという感じです。
幻朋:当時どういう役割を担っていたのでしょうか?
メラムサフラ:天皇の補助や政治家という活動もしていました。
幻朋:なぜ彼がそういう活動をしていたんですか?天皇に指示されたんですか?
メラムサフラ:もし自分が天皇になった時の事を考えてやっていました。指示があった訳ではなく、自分でやっています。
幻朋:やはり政治的な事をしていたんですね。

聖徳太子が行った活動や政策について

四天王寺の建立

幻朋:聖徳太子が実際に行なっていない事もあるという説があるので、本当かどうか確認していきたいと思います。592年、厩戸皇子は物部氏との戦いの際の誓願を守り、難波に四天王寺を建てました。施薬院、療病院、悲田院、敬田院を設置したという伝承があります。
メラムサフラ:聖徳太子が建てたものです。これは人を助けるための施設ですね。
幻朋:病院みたいな感じでしょうか。お寺の中にこういう施設があったんですか?お寺風な病院みたいな?薬を施したり、病気を治す所を作ろうって考えたんですかね。
メラムサフラ:お寺の敷地内です。色々考えて行動しています。
幻朋:お寺の敷地内に施設があったという意味ですか。失礼しました(笑)

慧慈から仏教を学ぶ

幻朋:594年、仏教興隆の詔を出しました。翌年には高句麗から慧慈という僧侶が来て、聖徳太子の先生になりました。
メラムサフラ:勉強していますね。でも、仏教は小さい頃から学んでいました。
幻朋:この時、本格的に慧慈に教わっていたという事ですね?
メラムサフラ:そうです。元々は自分で勉強しています。

斑鳩宮でどのような活動をしていたのか?

幻朋:601年、斑鳩宮を建てました。ここを中心に聖徳太子が活動していたのではないかと言われていますが、どんな事をしていたのでしょうか?
メラムサフラ:周辺にも色々なお寺があるので、そこを拠点にして回っています。
幻朋:どうしてここを選んだのでしょう?
メラムサフラ:特に意味はないようです。お寺を増やしていくための活動をしています。
幻朋:仏教を広めるためでしょうか。どんどんお寺を建てていたんですね。

冠位十二階は聖徳太子が定めたのか?

幻朋:603年、冠位十二階という制度を定めました。とても有名な話ですが、これは聖徳太子が定めたものですか?
メラムサフラ:聖徳太子により定められています。
幻朋:自分で考え出した制度ですか?
メラムサフラ:一人で全部やった訳ではないです。
幻朋:協力してもらったんですね。聖徳太子の周りにいた人かな?部下というか…何て言ったら良いんだろう。
メラムサフラ:部下という表現が合っているような気もします。オルアエルのような存在ですね。
幻朋:なるほど(笑)分かりやすいですね。
オルアエル:よく分かんないよ。
幻朋:メラムさんが聖徳太子で、オルアエルさんや施設内の方々が協力してルールを作ったような感じだと思います。
メラムサフラ:10人くらいはいたみたいです。
幻朋:結構多いですね。

十七条憲法は後世に作り出されたものなのか?

幻朋:次も有名な話です。604年、十七条憲法を定めました。しかし、ここでもまた聖徳太子が作ったものではないという説が出てきます。もっと後の時代に作られた説や日本書紀による脚色であると言われています。
メラムサフラ:聖徳太子が中心になって作っています。
幻朋:しかし、十七条憲法の事が書いてある推古紀は、一人の執筆者によって書かれており、条文は書き写しではなく新たに作り出された可能性があるそうです。何箇所も字を間違えていて、見て書き写したものではないと言われています。
メラムサフラ:聖徳太子の字を見間違えたようです。原本はちゃんとあります。さっきと同じように数人で行っています。
幻朋:原本が存在していたんですね。

遣隋使について

幻朋:607年、小野妹子と鞍作福利に国書を持たせて隋に派遣しました。遣隋使と言いますが、これも聖徳太子が送ったんですか?
メラムサフラ:大事な文書を送っています。聖徳太子が2人に行かせています。
幻朋:遣隋使が随に送った国書の中に、「日出る処の天子、書を没する処の天子に致す。恙無しや」と書いてあって、煬帝が激怒したそうです。これはどういう意図があったんですか?
メラムサフラ:意味までは載っていませんが、怒ってはいないです。

法隆寺は全焼したのか?

幻朋:607年、斑鳩宮の隣に法隆寺を建てます。このお寺は670年に全焼したと日本書紀に書いてあって、これをめぐって現存する法隆寺は聖徳太子の時代からのものか、670年以降の再建かについて数十年間論争があったそうです。
オルアエル:いつまで論争やってるの。
幻朋:学者さん達にもそれぞれ主張があるんですよ。
メラムサフラ:今あるのは後から建てられたものみたいですね。全部燃えて焼け落ちています。
幻朋:本当に燃えてしまったんですか!今あるのは再建されたものなんですね。

聖徳太子が仏教を広めた理由

幻朋:厩戸皇子は仏教を厚く信仰し、615年までに三経義疏を完成させました。なぜ日本には神道があるのに仏教を広めたのでしょうか?何か啓示があったのでしょうか?
メラムサフラ:神様からの教えではなく、自分が学んで広めたいと思ったからです。
幻朋:実際に仏教を学んでいて、良いなと思ったんですね。
メラムサフラ:今色々調べていたら、神様と話す事もできたという情報がありました。
幻朋:そんな能力もあったんですか?!仏様と日本の神様のどちらとも話せたんでしょうか?
メラムサフラ:どちらとも話せるようです。なかなか珍しいです。その時代にはそういう人はいませんでした。
幻朋:607年に敬神の詔を出していて、聖徳太子は神道の神も厚く祀っていたという話もあったので、どちらの神様も大事にしていたんですね。何かしら神様とお話ししていそうですよね。
メラムサフラ:載ってはいませんが、神様からの助言もありそうですね。
オルアエル:絶対聞いてるよ。

3つの歴史書

幻朋:620年、蘇我馬子と共に「国記」「天皇記」「臣連伴造国造百八十部并公民等本記」という歴史書を作りました。これは本当に作ったかどうかの確認だけにしますね。
メラムサフラ:実際に作ったものです。

聖徳太子のお墓捏造説

幻朋:622年、聖徳太子が斑鳩宮で亡くなります。大阪の叡福寺にある磯長墓が聖徳太子のお墓だとされており、母と妃と3人一緒に埋葬されているそうです。しかし、ここも後世に捏造されたという説があります。
メラムサフラ:3人かどうかは載っていないですが、このお墓で合っているようです。
幻朋:全然捏造とかじゃないですね。

聖徳太子にまつわる言い伝え

同時に10人の話を聞いていたのは本当か?

幻朋:ここからは聖徳太子の伝説について確認していきたいと思います。10人の話を一度に聞いたという説があります。人々の請願を聞く機会があった時に、10人の請願者が同時に喋り出しましたが、全ての話を理解していたそうです。私的にはちょっと厳しいのではないかなと思っています。
メラムサフラ:大体は理解していたようです。
幻朋:え…本当なんだ(笑)超能力か何かですか?
メラムサフラ:超能力ではなく、そういう力があったんです。
幻朋:普通の人間なら混乱しますよ。やっぱりただの人じゃないですね。
メラムサフラ:小さい頃から複数人の話を聞いて理解していたそうです。

聖徳太子は未来を予言できたのか?

幻朋:聖徳太子は未来を予言していたという話もあります。日本書紀に「兼ねて未然を知ろしめす」と書いてあり、未来を予言できたと言われます。
メラムサフラ:未来は見えていないです。
幻朋:江戸時代に「先代旧事本紀大成経」が発見されて、その中の69巻の「未然本紀」が未来を記したものとされています。応仁の乱や第二次世界大戦を予言し、更には第三次世界大戦、人類滅亡の事も書かれてあるらしいですが……違うんですね(笑)
メラムサフラ:未来の事が書かれているとは言えないです。未来を予想したようなものです。

馬に乗って空を飛んだ説

幻朋:即斬られそうな予感がしますが、一応お聞きしますね(笑)聖徳太子が神馬に試乗した際、馬が天高く飛び上がって空を移動したという伝説もありました。
オルアエル:嘘でしょ。
メラムサフラ:載っていないです。それは難しいと思います。
幻朋:そうですよね(笑)

聖徳太子の肖像画は別人なのか?

幻朋:最後の質問です。聖徳太子は昔の一万円札にもなっていますが、それに使われていた肖像画は別人だという説があります。有名なのは法隆寺の唐本御影という絵ですが、これが描かれたのは太子が亡くなってから100年以上も経っている事から、明確な証拠はないそうです。メラムさんが実際に見ている顔と似ていますか?
メラムサフラ:似ているようにも見えます。
幻朋:ちなみに、各地のお寺にある聖徳太子の像と全然似ていないそうで……これが写真です。
(お寺に祀ってある太子像の画像を見てもらいました。)
メラムサフラ:像はそこまでの再現はしていないです。
幻朋:誰かが聖徳太子の顔を記憶していて描いたんですかね?
メラムサフラ:肖像画は代々受け継がれていたそうです。
幻朋:そうなんですか。聖徳太子はあんな風な顔だったんですね。私からの質問はこれで終わりです。聖徳太子の存在を否定する話が多かったですが、色々と活動している方だったんですね!
メラムサフラ:情報を見ているとちゃんとやっていますね。
幻朋:捏造とか架空の人物だとか言われていて、ちょっと悲しい気持ちになったので安心しました。
メラムサフラ:そんな事ないですよ。
幻朋:このお話を他の方にも伝えて、聖徳太子のイメージが少しでも回復すると良いなと思います。
メラムサフラ:よろしくお願いします。
オルアエル:難しい話だった。何がしたいか分からなかった。
メラムサフラ:私達には理解するのは難しいですね。
幻朋:今ある国の基盤を作り出した方、という感じでしょうか。
オルアエル:とりあえず話聞いてたよ。
幻朋:オルアエルさんも参加できそうな質問も来ているので、今度はそういう話にしますね!でもオルアエルさんがたまに喋る言葉が、なかなか良いスパイスになっていますよ(笑)いつもありがとうございます。
オルアエル:それなら良かった。
メラムサフラ:こちらこそありがとうございます。また来てください。

聖徳太子についての情報は以上となります。所々には創作の伝説があったり、周りの協力を得て行った政策もありましたが、彼が中心となって活動していた事が分かりました。
そして、ちょっと気になったのが彼は神様と話せる力があった事です。学問や政治もできて、霊感も強いなんてすごい方ですね。
ちなみに聖徳太子の一万円札の透かしは法隆寺だそうですね。実際にお札をコレクションしている方がいらっしゃれば、ぜひ大切にしていただけたら嬉しいです!私も実物を見てみたいなと思いました。