ダライ・ラマやチベットの歴史、パンチェン・ラマとの関係について学ぶ

ダライ・ラマやチベットの歴史、パンチェン・ラマとの関係について学ぶ
今回の歴史の人物はダライ・ラマです。読者様がまとめてくださった情報を読んでチベットについて初めて知ったのですが、様々な事が起こっていたんですね。
現在もまだ続いている問題ですし、国の事も関係しているので、やはり言えない情報が多々ありますが、チベットやダライ・ラマについて少しでも知っていただければと思います。
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久しぶりのモニタールーム

重要施設に入ると、メラムさんがすぐに空間移動でモニタールームに案内してくれました。
メラムサフラ:お待ちしていました。
ケスリロ:お待ちしてたぞ。
幻朋:ケスリロさんお久しぶりです!
ケスリロ:最近は関連施設に行ったりしてたぞ。
幻朋:何かあったんですか?
メラムサフラ:教育ですね。オルアエルはもうすぐ来ます。
幻朋:ケスリロさんは先生も似合いますね!そういえば、今日は日食という現象がありました。これは私が撮った写真です。こんな風に太陽が欠けて見えました!
日食1 日食2
メラムサフラ:本当に欠けて見えますね。シノエテさんが言っていました。
幻朋:シノエテさん達も知っているんですね!どこかで観察していたのかな。
オルアエル:来たよ。
幻朋:こんばんは!オルアエルさんにも太陽の写真を見ていただきたいです。
オルアエル:太陽が欠けてるの?
幻朋:太陽の目の前を月が通っていて、欠けているように見えるんです。
オルアエル:すごいね。
メラムサフラ:貴重ですね。
幻朋:すみません、少し脱線しました。今日はダライ・ラマのお話です。メラムさん、情報の閲覧をお願いします!
メラムサフラ:大丈夫です。
ケスリロ:モニターを見ながら参加するぞ。
幻朋:はい!では、始めますね。地球人の方からいただいた情報を読みながら進めていきたいと思います。

ダライ・ラマとは

幻朋:ダライ・ラマとは、チベット仏教ゲルク派の高位のラマ(チベット仏教における僧侶の敬称の1つ)であり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマ(チベット仏教においてこの世の衆生を教え導くために、過去の偉大な仏道修行者の化身とされるラマ)。ダライ・ラマは観音菩薩の化身とされる名跡 (代々継承される名)。その名は、大海を意味するモンゴル語 の「ダライ」と、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせた名となるダライ・ラマはチベットとチベット人民の象徴たる地位にあります。歴代の法名に襲名されている「ギャツォ」はチベット語で「海」という意味でモンゴル語 の「ダライ」と対応するそうです。
メラムサフラ:ダライ・ラマというのは称号だそうですね。
幻朋:どのような形で始まったのか分かりますか?
メラムサフラ:なぜ始まったか理由は載っていないです。
幻朋:ダライ・ラマの呼び方などについての情報は他にもありますか?
オルアエル:もうないのかな。
メラムサフラ:ダライラーマという人が存在しているようです。この人の名前から付けられた称号です。
幻朋:ダライラーマさんから始まって、今の14世まで続いているという事でしょうか?
メラムサフラ:チベット仏教での最初のダライ・ラマとあります。
幻朋:もしかしてダライ・ラマ1世でしょうか?そこから始まったという意味ですね?
メラムサフラ:そうです。
幻朋:分かりました。では、続きを読んでいきます。ダライ・ラマは17世紀( 1642年 )に発足したチベット政府である「ガンデンポタン(=現在のチベット亡命政府)」の長として、チベットの行政府の長として対外的代表権を持つ元首の地位を保有しました。現ダライ・ラマ14世は、チベット動乱の結果として1959年に発足した「チベット臨時政府(のち中央チベット行政府=チベット亡命政府)」において、2011年3月14日に引退するまで政府の長を務めていました。現在のチベット亡命政府では、「チベットとチベット人の守護者にして象徴」という精神的指導者として位置づけられています。ここで素朴な疑問なのですが、チベットは国ではないんですよね?チベットというエリアがあるという事でしょうか?
メラムサフラ:中国の一部の地域がチベットだそうです。その地域のトップです。 
ケスリロ:何者なんだろうな。 
幻朋:すごいお方なんです!世界的にも有名で、仏教界の偉大な方の一人です。

ポタラ宮とは

幻朋:ポタラ宮とは、第五世以降の歴代ダライ・ラマの居城であり、チベット仏教における聖地です。チベット仏教の信者らはその居城へ一生に一度は巡礼することを目標としており、信者らからはイーシン・ノルブ(如意宝珠)と尊称されるそうです。そして世界遺産でもあります。
メラムサフラ:権力を表した建物だそうです。
幻朋:そうなんですね。ここに訪問した事があるのですが、意識体はどなたもいなかったです。居城だったんですね。
メラムサフラ:神がいるというような情報は載っていないです。
ケスリロ:かなり大きな建物だな。
幻朋:はい!近くに行った時に、建物が巨大でびっくりしました。

パンチェン・ラマとの関係

幻朋:次にパンチェン・ラマという方についてお話しします。この方は、ダライ・ラマに次いで重要な化身ラマだそうです。「二大ラマ」や「二人の最高指導者」とみなす場合もあるそうです。この二人の化身ラマの密接な関係を、チベットの人々は太陽と月と表現します。観音菩薩の化身とされるダライ・ラマに対して、パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身とされ、ダライ・ラマと同等の高僧と考えられているそうです。
メラムサフラ:ダライ・ラマの次の権力者と書いてあります。それ以上は載っていません。
幻朋:ダライ・ラマとパンチェン・ラマはお互いの死後に、その転生者に選ばれた次の法王が成人するまでの空白を補う副法王の役割を持っており、相互に師弟関係にあるそうです。パンチェン・ラマはダライ・ラマとは異なり、原則的に世俗的な政治権力は有しておらず、ダライ・ラマはガンデンポタンの長としてラサを基盤としていたのに対し、パンチェン・ラマはタシルンポ寺の座主として別の地域を所領としているそうです。
メラムサフラ:お互いに良さそうな人を指名して選んでいます。
:確か、特徴に当てはまる人物を探すそうですね。これについてのお話はこのままお伝えして大丈夫でしょうか?
メラムサフラ:規制ではないので大丈夫だと思います。アマテラスさんが許可している情報なので。

二大ラマの後継者選定

幻朋:ダライ・ラマとパンチェン・ラマは世襲制ではなくそれぞれの没後に、その魂の転生によって後継者が決定されるそうです。ダライ・ラマの魂はパンチェン・ラマが、パンチェン・ラマの魂はダライ・ラマが見つけ出し承認します。後継者は少年である事が条件で、その特徴が発表されると僧侶がその特徴に合った人物を探し出し後継者を決定します。なお、中国政府はこの後継者を認めず、中国政府の承認がなければ、ダライ・ラマを決定する事ができないという法律を取り決めています。これは先程のお話に繋がっていますね。
オルアエル:毎回地球に転生してるの?
幻朋:そうなりますね。これについて何か霊的なお話などは載っていますか?
メラムサフラ:霊的な事は書いていません。

現在の状況

幻朋:それぞれの後継者については時折トラブルがありましたが、2つ前の代のパンチェン・ラマ9世が中国亡命をした事をダライ・ラマ13世は不満に思い緊張関係が続いたそうです。この事を中国がチベットに対して政治的に利用するようになりました。パンチェン・ラマ9世は1937年にチベットへ帰国しようとしたものの、途中のアムドで没してしまいます。その後、1944年まで転生者が承認されず空位のままでしたが、1949年にパンチェン・ラマ10世が中国によって認可され、アムドが中国共産党軍に占領された事によってパンチェン・ラマの存在も中国の手中に落ちた形になったそうです。1951年には、中国が選定したパンチェン・ラマ10世をダライ・ラマが送ったチベット使節団が承認させられる事になりました。
メラムサフラ:政権の内容について意見の食い違いがあったようです。
幻朋:チベット内で二人が対立していたという事でしょうか?
メラムサフラ:そうです。そこからダライ・ラマがパンチェン・ラマに対して嫌うようになりました。その後、中国に行っています。
幻朋:パンチェン・ラマが亡命したというのはこの事なんですね。中国としてはパンチェン・ラマを政治的に優位に動かせると思っていましたが、1964年、ラサで大衆に向かった演説で「ダライ・ラマはチベットの真の指導者だ」と発言するなどしたため中国側にとっては扱いにくい存在になり、以降10年間、独房に監禁されてしまい、生死さえ不明の状態になったそうです。パンチェン・ラマ10世はその後1978年に解放されたものの、1989年チベット訪問中に亡くなりました。
メラムサフラ:中国がパンチェン・ラマを使ってダライ・ラマの力を弱くしようとしました。でも、パンチェン・ラマはそれを阻止しようとしました。
幻朋:パンチェン・ラマはダライ・ラマと対立していましたよね?実はダライ・ラマの味方だったんですか?
メラムサフラ:中国に助けを求めに行きましたが、ダライ・ラマの力が弱くなってしまうとパンチェン・ラマの居場所がなくなると思ったそうです。
幻朋:だから阻止しようとしていたんですね。
ケスリロ:それで捕まったのか。
幻朋:現在、ダライ・ラマ14世がパンチェン・ラマ10世の後継者であるパンチェン・ラマ11世発見を布告したものの、チベットに住んでいた新パンチェン・ラマは、中国によって世界最年少の政治犯として家族ごと収監されてしまいました。政治利用の目的の為に、代わりに中国政府が別のパンチェン・ラマを発表しましたが、ダライ・ラマはこれを認めていないそうです。
ケスリロ:それが普通だろうな。
オルアエル:何で勝手に違う人が出てきたの?
メラムサフラ:それはダライ・ラマも納得できないと思います。

チベット自治区と中国の関係 

幻朋:チベットはかつて1つの独立国家でしたが、「もともとは中国だった」という中国による強引な理屈と軍事力の脅しによって中国の一部にさせられてしまいました。1951年、中国の軍事的脅威のもとで中国政府と「 17条協定 」を結ぶよう強いられ、これによりチベットは名実ともに中国の一部になってしまいます。(のちにチベットが否認)ダライ・ラマ14世が亡命でチベットを去った後、中国は中央チベットに「 チベット自治区 」を成立させ、着々とチベット支配を進めていきました。
メラムサフラ:中国がチベットを独立させないようにしています。
幻朋:なぜそこまでして中国に取り込みたいのでしょうか?
メラムサフラ:ポタラ宮殿の価値があるからだそうです。中国はそれを手に入れたいと思っています。
幻朋:ポタラ宮は有名な聖地だからでしょうか。チベット仏教の方々にとって大事な場所ですよね。先程のお話を続けます。しかし、チベット人の中国への抵抗は根強く、中国に従わない者は容赦なく投獄されたり◯されてしまいました。また軍人などが急に流れ込んだために食糧事情が悪化し、大量の餓死者も出たそうです。60年代から70年代にかけては、輪をかけて凄惨な「 文化大革命 」といわれる時代で、チベット風の伝統はすべて否定され、残っていたわずかな僧院も破壊されたそうです。「民主改革」「文化大革命」を通して、中国による拷問や戦闘、餓えのために亡くなったチベット人は120万人にのぼるという統計があるそうです。また、中国はチベット高原が広いのをいい事に、核実験場をつくり、核廃棄物・産業廃棄物の捨て場にし、鉄道を敷いて鉱物資源を持ち去り、貴重な野生動物を乱獲しています。それらは揚子江水害も引き起こしているそうです。
メラムサフラ:その通りです。抵抗するとこのようになるという事を見せつけています。
オルアエル:それはひどいよ。
幻朋:ちょっとやり方がひどいですね。このような乱暴なやり方では何も解決できないと思います。

ダライ・ラマ14世の亡命

幻朋:1950年夏、チベットの駐屯地が中国人兵士によって襲撃されました。前年の秋から「チベットを帝国主義侵略者から解放する」と宣言する中国共産党が国境を越えて侵入して来ていました。総員8500の兵員しか保有していないチベットは勝敗の見えている重大な危機に直面していました。
メラムサフラ:…………これについての情報が載っていません。
幻朋:では、次に進みますね。1950年11月17日、法王は15歳という若さで正式にチベットの聖俗のリーダーに即位しました。即位式のおよそ2週間前に、中国にいた法王の一番上の兄がラサに到着しました。生まれ故郷のアムド地方は中国軍に席巻され、僧侶の活動は禁止され、彼はただちに監視下に置かれ、事実上僧院に軟禁状態となっていました。中国側は、兄に中国の共産思想を吹き込んで洗脳し、考え方を変え、屈服させようと試みた上、もし兄がダライ・ラマを説得して中国支配を受け入れさせるならラサに行かせてやろうと持ちかけました。ダライ・ラマがそれを受け入れなければ兄はダライ・ラマを◯す命を受け報酬を与える、と吹き込まれていました。ダライ・ラマは代表団をアメリカ、イギリス、ネパールに送り、チベットのために介入するように説得を依頼しましたが、イギリス政府は中国のチベットに対する支配権の主張を認める方向である事、アメリカが難色を示した事に失望します。ダライ・ラマは、中国との対話の為に知事のガプー・ガワン・ジグメを北京に送りました。ところが、代表団は対中国とのいかなる合意に至る権限も与えられていないにも関わらず、チベットの平和的解放のための「17か条協定」が中華人民共和国政府と代表団との間で調印されたとラジオで放送されました。なんと、中国人はチベットの印璽(いんじ)を偽造までして、代表団を強制的に調印させたそうです。
オルアエル:長いよ。
ケスリロ:難しいな。
幻朋:すみません、せっかく地球人の方がまとめてくださった情報なので、文章を切らずにそのまま読んだ方が良いかなと思いまして。アメリカやイギリスに介入を求めていますが、なぜ上手くいかなかったのでしょうか?
メラムサフラ:相手が中国だからです。
幻朋:ダライ・ラマのお兄さんも色々と吹き込まれていたんですね。大変な状況ですね…。
メラムサフラ:お兄さんは中国に従っていません。
幻朋:続く9年間、ダライ・ラマは中国の軍事支配の回避に尽力していました。1959年冬、中国共産党の張経武将軍がチベット指導者に、中国舞踊団による観劇へのうわべの招待状を送ってきました。その際に、一人のチベット兵もダライ・ラマに帯同せず、護衛も武器を持たずに同行しろという条件が加えられていたそうです。ダライ・ラマの身を案じた何万というチベット人が招待の日(1959年3月10日)、ノルブリンカ宮殿に集まってダライ・ラマが観劇に行くのを阻止したそうです。
メラムサフラ:中国は◯すつもりでした。でも行っていません。
幻朋:罠だったんですね…怖いですね。1959年3月17日、ネチュン神託官に助言を求めると、ダライ・ラマは国を離れるようにという明確な指示を与えられたそうです。ダライ・ラマは一兵卒に変装し、群衆の中をすべるように、少人数の護衛に付き添われながらインドへ向かったそうです。
メラムサフラ:その話で合っています。インドの方に行っていると書いています。
幻朋:1959年3月30日、ラサを脱出して3週間後、インド国境に到着し、そこからはインド人護衛に付き添われて、現在のアルナーチャル・プラデーシュ州にあるボンディラという町に到着します。インド政府は既に、法王とインド国内にいる彼の従者達を庇護する事に合意していました。ダライ・ラマは1959年6月20日に記者会見を開き、「17か条協定」を正式に否認し、3万人にも達していたチベット難民の多くは、北インドの丘陵地にある居住区に移動させました。
メラムサフラ:インドも前からチベットのダライ・ラマと中国とのやり取りを知っていました。ダライ・ラマの要請があったため受け入れる事にしたそうです。
幻朋:受け入れてくれて良かったです。そして1960年3月10日、ダライ・ラマは声明を発表しました。「亡命中の我々にとっていちばん大切なことは、しっかりと腰を下ろし、我々の文化的伝統を継承してゆくことである。そして将来に関しては、真実と正義、勇気を武器とし、究極的にチベットの自由を勝ち取ることができる」という自らの信念を表明しました。
メラムサフラ:インドに移った事で中国も諦めたようです。
幻朋:今はもう狙っていないんですか?
メラムサフラ:そのようには書いていません。
ケスリロ:良かったな。
幻朋:いったん諦めたんですね。
オルアエル:もうやめた方が良いよ。
幻朋:そうですよね。これからチベットの人々は故郷に帰れるのでしょうか…。現在進行の出来事なので、今後がどうなっていくか気になります。状況についてのお話は終わりです。ここからは読者様にいただいた質問をしていきたいと思います。

ダライ・ラマに関する質問

ダライ・ラマとパンチェン・ラマの転生について

幻朋:「ダライ・ラマとパンチェン・ラマは本当に転生し続けてるのか?」「ダライ・ラマとパンチェン・ラマは互いの転生を見分ける能力が元から備わってるのか?」というご質問をいただいていますが、先程のお話の通りという事ですね?
メラムサフラ:そうです。

中国に行ったパンチェン・ラマのその後…

幻朋:「中国に拐われた本物のパンチェン・ラマは現在はどこでどうしているのか?また、表に出てくる意志はあるのか?本人と家族は無事か?」
メラムサフラ:これは言えません。
(お答えできず申し訳ありません。)

チベット自治区に対する思惑とは

幻朋:「中国政府のチベット自治区に対する思惑は?(やっぱり意のままにしたい?)」
メラムサフラ:一番欲しいのはポタラ宮ですが、チベットごと全部吸収しようとしています。

チベット自治区とチベット仏教の今後

幻朋:「今後のチベット自治区とチベット仏教の行き先は?」
メラムサフラ:しばらく続くと思います。私から未来の事をあまり言う事はできません。

ダライ・ラマ15世が日本に転生する?

幻朋:「ダライ・ラマ15世が日本に転生するという噂は本当か?」
メラムサフラ:それはまだ分かりません。

この状況をどう感じているのか?

幻朋:「今のダライ・ラマさんの状況をどのように感じられていらっしゃるのか知りたいです。そしてこの後はどの様に成るのかも知ってらっしゃったらお聞き下さいませ。」というご質問ですが、神様がどう思っているかという意味なのでしょうか。
メラムサフラ:神様がですが?それは私には分かりません。
幻朋:これはアマテラス様に聞かないと分からないですね。

短命のダライ・ラマに何があったのか?

幻朋:「10世、11世、12世の3人が毒◯。それも内部犯行。下僧がグルになり食事に混ぜたらしいんですが…暴君を暗◯ならまだしも、11世は17歳、12世は20歳で消されてる異常さ…何が起きてたのか知りたいです。」「ダライラマ9世〜12世までが異常に短命(平均18歳らしいです)だった理由はなんですか。政治的な絡みで聞いてはいけない質問かもしれません。」というご質問をいただいております。
メラムサフラ:その辺の情報は載っていないです。隠されているかもしれません。
幻朋:何だかちょっと危ない話ですもんね。

転生者を探す制度は続いていくのか?

幻朋:「ダライラマの転生者を探す現状の制度はこの先も続くのでしょうか。」
メラムサフラ:先の事なので載っていませんでした。私は続かないような気がします。
幻朋:分かりました。これで質問は終わりです。ありがとうございました!今回は、いつもの歴史をたどっていくのとはちょっと違う感じでしたね。現在も続いていて、色々と複雑な問題ですね。何かご意見ご感想はありますか?
オルアエル:何もないよ。
幻朋:そんなぁ(笑)
メラムサフラ:規制されていた部分が多かったかもしれません。前に調べた時は情報がたくさんあるように見えました。
幻朋:その時は情報が結構載っていると言っていましたよね。こうしてメラムさんに聞く前にアマテラス様が規制したのかもしれませんね。
メラムサフラ:アマテラスさんが考えてくれていると思います。
オルアエル:アマテラスさんは優しいよ。
幻朋:その通りですね!それでは、時間も遅いのでそろそろ帰ります。今度の質問会もよろしくお願いします!
ケスリロ:もちろん参加するぞ。
幻朋:ありがとうございます!
メラムサフラ:またお待ちしています。
ケスリロ:カテ(ありがとう)。
幻朋:タルム(さようなら)!
ケスリロ:タルム。
オルアエル:またね。

ダライ・ラマに関するお話は以上となります。規制などにより詳しい情報をお届けできずに申し訳ありません。しかし、これを機にチベット仏教やダライ・ラマに関心を持っていただければと思います。
私も今回の事をきっかけに、ダライ・ラマの法話や、世界平和についてお話ししている動画を拝見しました。素晴らしいお話ばかりでした。これからもチベットの歴史が続いていってほしいなと心から思いました。
今回も情報提供をしてくださった方々には大変感謝しております。お陰様でスムーズに質問をしてくる事ができました。